☆いい女☆で行こう!

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ドアホにならないために(真面目な話)3
「たくさん遊んで生きないと、怨みが残ってしまう」という、意見ではなく、「説」を唱えている。
「力を入れると身体は止まり、力が脱けると身体は動く」という、意見ではなく、「説」を唱えている。
「言語が血に入ると、言葉ではなく呪いになってしまう」という、意見ではなく、「説」を唱えている。
「身分差の中で、ある種の行為はカルマになり、ある種の行為はその償却になる」という、意見ではなく、「説」を唱えている。

「『我慢』をすると、我が肥大する」という、意見ではなく、「説」を唱えている。
「脳みそに不快をさせても、何も得られずダメージだけ残る」という、意見ではなく、「説」を唱えている。
「フィクションは、ノンフィクションと比較して、時間軸上を先行している」という、意見ではなく、「説」を唱えている。
「心臓の気魄にアクションが授受され、横隔膜の霊魂にエコーが授受される」という、意見ではなく、「説」を唱えている。

僕はこれらの「説」どおりにやっているだけで、何の努力もしてはいない。

だから、これらの「説」が、「説」として見えなければダメだ、たとえその説を採用しないとしても、説は「説」として見えなければダメだ、これは単純な知性の問題だ。
たとえば、煮物に味が染みていくのは、煮込むときの火力ではなくて、煮汁が冷えていくときの浸透圧現象なのだ……そういう「説」があるのでその通りにやってみたらよいが、このことに何の「努力」がいるのだろう? まずは説が「説」として見えなくてはならない、この「説」が見えない者は定義として「ドアホ」と認められる。
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