☆いい女☆で行こう!

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ドアホにならないために(真面目な話)4

いうわけでだ、僕は正直なところ、ウフフッと生きている人を見ると、気が遠くなるのだ。
そりゃもちろん、余計なお世話だとはわかっているのだが、何かしらん、何一つとも噛み合わずにウフフッとなっているのを見て、オゥ、テリブル、という気分になるのだ、率直にいえばもうそのたぐいを見たくないのだ。
このところ、清涼飲料水のCMを見ると、若い人々がマスゲームのように踊っているのだが、あれは僕から見ると、何の「説」でそのように動いているのかがわからないのだ、何の「説」もなしにただ動いているだけに見える、そしてそうしたものは、見ているだけで正直「怖い」のだった。
もちろん、そんなCMに対して、僕に何の意見があるのでもない、ただ僕は、「何の説もなしにただ動いているのではないか」という「説」を唱えているのだ/このところ、こうして「説」を唱えると、「なるほど」ではなく「ポカーン」という表情で迎えられることが多くなってきた、このこともやはり正直「怖い」のだった。

あなたは勉強したり、お出かけしたり、異性と絡んだり、新しいアルバイトを始めたり、するかもしれない。
ぜひその背後には、「学門のない自分になったらきっとわたしは後悔する説」や、「街中でこそ得られる作用がある説」や、「異性と敬愛しあう時間が当たり前でないとやることがなくなる説」や、「新しいことをこなすストレスが自分の地力を育てる説」などがあってほしい。
ウフフッという状態から、やりたいことをする、キョーミのあることを……ということではないのだ、自分が何をしたらよくて、また何をすべきかということは、「説」が照らし出すのだ、自分のウフフッでその日を消費して終わらせるものではない。
ウフフッという状態を、何年も続けていると、やがて「どういう説で生きているの」と訊かれたとき、「そうですねえ……えーっと……」と、ごまかして言わねばならない奴になるぞ、人はそのとき「何の説もありませんや」とスパッと答えられるものではないのだ/はっきり申し上げると、己で採択した「説」なしに生きた時間は、どれだけ多忙あるいは遊興的でも、自分が生きた時間にはなっていないものだ、必ず忘れて消去されていく、まるで本当に何もせず生きてきたみたいに。

今あなたは、何の「説」の時間を生きているか。

あなたが女性だったとして、一人の男性と出会い、「ウフフッ」となり、その男性とお近づきになり、ハダカになってセッセッセをしたとしても、それは本当に「何にもならない」ぞ、粘膜に慰めぐせがついてコントロールが利かなくなるだけだ/端的にいうと、「ウフフッ」は本当に人生の時間の無駄なのだ、あなたはこの夏、何の「説」の時間を生き、この夏、何の「説」が証されて残るのか。
……さて僕は、今ここに、どういう「説」を唱えただろうか? ウフフッという顔面の気配は控えてもらって、もう一度訊ねる、僕は今ここにどういう「説」を唱えましたか/それにズバッと回答できないということは、「説」が見えていないということだ、ここでフワフワして「えーっと、その……」とわかっているふうになるのはドアホ傾向において本当にまずい(回答例は以下続きに記載しておきます)。

 

 

 

 

 


<回答例>
・「説」に立脚しないで生きた時間は、生きた時間にはカウントされていないという説。生きた時間にカウントされていない時間は、その後忘却され消えてゆき、消費されきると、やがて「何もなかった」のごときになる。

・「ウフフッ」という気分で行動を決めたり、そのとき「こう思った」ということを「意見」として述べるのみに終始するは、「説」に立脚して生きるという立場から見て門外漢に当たる。この差分は、決定的でありながら、単純に知性の問題として生じている。

・行動・行為の決定および、その目標や指針は、当人が依拠する「説」から照らし出されるべきものであり、当人の気分や「思うこと」で見いだされるのではないという説。この説においては、知性の問題から「説」そのものが見えない領域の者を「ドアホ」と定義することで警告が為された。
 

 

 

 

 

 

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