☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告82(3)/caseの人々とボエーム主義
19時に飲み始め、朝の5時までやり、その後ファミレスでメシを食うと、10時から禁煙になってしまうので、帰るか〜となり、歩き始め、また喫茶店に寄ってしまい、けっきょく昼下がりまでやる(二十四時間耐久はさすがに、この季節にはキツすぎる)(つーか、別に耐久モノにする理由はねえよ)。
「世界」は、ボエームのものだ/これに関しては、今のところ、本当にわかるのは僕だけだ、これは、別に命がけになる必要はないが、生死は超えている必要がある(生死を超えるということは、命がけにロマンを見ないということでもある)。
今回は、翌日の昼下がりにまで至って、重大な発見を僕にもたらしている、ようやくつながったという話でもあるが/「100%やる」、これを自在といい、「100%何もしない」、これを無碍という、この二つが同時に成り立つとき、人の霊魂は「世界」と出会う。
「ずっと遠い昔、自分の身体を見て、これはきっと「容れ物」なんだと思っていたろ? 『わたし』の容れ物。どうやらその見方が、本当に正しかったということのようだよ、すべての切る・つなぐは、この『容れ物』と『中身』を切るということで決着できることになった」

みんなが「言葉」と思っているものは、実は言葉ではなく、それは「言語」であって、実は言葉の「容れ物」だ/言語は言葉の「容れ物」にすぎない、そして容れ物だけあっても中身が入っているとは限らない。
みんなが「わたし」だと思っている身体は、やはりわたしの「容れ物」でしかないのだが、さらに重要なことは、みんなが「世界」と思っているこの世界が、実は世界の「容れ物」でしかないということ、この容れ物の「中身」に出会えるかどうかは人それぞれであって、またその中身に出会うには満たされねばならない要件がある。
気魄は「100%偏らないこと」、霊魂は「100%偏りきること」、このことが同時に為されたとき、霊魂は容れ物から飛び出て、この世界(中身としての世界)に「出会う」ということが起こる/このことがはっきりわかっているのは、さしあたり僕のまわりでは僕一人だ。
すべての容れ物は、「ノー」という事象で骨格を為されており、すべての中身は、「イエス」という事象のみで満たされている、中身は全部同じなのだ、「わたし」も「言葉」も「世界」も、中身は同じ、中身はすべて「世界」というひとつのものであって、これはひとつなのでどこまでも区切ることのない元々からのひとつのものだ。

容れ物の沙汰は、すべて「case/ケース」の一語で済む。

caseとは容れ物であり、箱に入れるということであり、同時に「場合」という意味でもある、そして僕は容れ物の沙汰に詳しくなる意図をもたず、どうやったら中身が出てくるのかという視点のみにおいてcaseの問題を取り扱う/僕が神戸とかカルカッタとか言っているとき、それらの語は「地名」ではない。
ボエームと呼ばれる人々は、定住を持たないのではなく、容れ物を生きていないということなのだ/世界の容れ物は誰でも認識できるが、その中身と「グワッと」出会える人はごく限られている、何もたいしたことではないのだが、今のところこれを当たり前にやれるのは僕のまわりでは僕一人だ、通りすがりにお茶でもしていくか。
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