☆いい女☆で行こう!

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「職業」と「仕事」
のような者が言い出すことではないが、誰も言い出さないので、僕が言うとして、単純に国語的にも定義的にも、「仕事」と「稼ぎ」はまったく異なるものだ、なるべく本分に仕えることがその人の「仕事」になるし、稼ぎといえばパチンコで儲かったぶんも「稼ぎ」になる、ただしどれだけ荒稼ぎをしてもパチンコはその人の「仕事」にはならない。
稼がないと生きていけないわけだが、それはわれわれが「生きる」という業を背負った存在だからで、だから主な稼ぎのことを「生業(なりわい)」という、そして「生きる」という業に務めることを「業務」という、ここにおいて生業や業務というのは「仕事」とは異なる。
たとえば近所のババアが近所の公園を掃除していることがあるが、もしそのババアが、「この土地に暮らす者として、この土地を少しでも清めて暮らすのは、この土地に暮らす者の本分ではないか」と言うのであれば、その公園の掃除はババアの「仕事」だ、ババアは己の見いだした本分に仕えている。
昔テレビに、西川口だったと思うが、一人のおっさんが映し出されていた、このおっさんは西川口のゴミを拾うのが仕事らしい、それでテレビカメラに向けて、「どんどん西川口に遊びにきて、どんどんゴミをポイ捨てしていってな、ぜんぶわしが拾うから」とニコニコおっしゃっられていた、まともな生業を持っているのかどうかわからない風貌だったが、彼はきっとその場所に何か本分を見いだされたのだろう、まあ誰だって有限の生命を生きているわけだ……

これを「ボランティアで」という言い方にすり替えると、話が気色悪くなる。
誰もボランティアの語源なんか気にしないだろうし、ボランティアというとつまり「無償」で、「本来はカネをもらってもよさそうなところをタダでやってあげている」という気配がミエミエだ、この気色悪さは仕事と稼ぎを取り違えていることから発生している、そもそも仕事というのは報酬を目当てでやるものではない、仕事というのは「仕える事」なのだから。
ネコにはネズミを追いかける業があり、男には女のケツを追いかける業があるのと同様に、われわれ「生きる」者は、カネを追いかける業がある、このカネを追いかける業のことを、「仕事」と読んでいるのではない、カネを追いかける業は「業務」だ、逆にこのことが見えていない人は業務においても「わかっていない奴」「トロい奴」になってしまう、業務ではしっかりカネを追いかけろ。
ババアが公園を掃除しているとして、それは全部が全部「ボランティア」ではないのだ、中には、これまで長年「生きる」という業ばかりに振り回されてきて、どうか自分が生きる中にも、業に振り回されるだけでない何かが欲しいと目覚められて、せめてこの場所に生きた者として、本分のことに「仕えたい」とされている方もいらっしゃるのだ/ババアは無償でやっているのではない、仕事でやっているのだ、称賛なんかしていないで、この世界の本分にビビれ。

「職業」と「仕事」は根本的に異なる。

そのことは、そのへんの職業人のおっちゃんを捕まえて訊いてみればわかる、「今日あなたは、仕事をしましたか」と訊けば、「いやあ、今日なんか、仕事という仕事はしてませんなあ」と肩をすくめることがよくあるものだ、これはわりと、おっちゃんとしては主流でありふれた感覚だ、職業として出勤しても必ずしも「仕事」をするとは限らない。
典型的には、政治家などが本来そうで、政治家が己の稼ぎに邁進しては、市民としてはタマランのだ、生業のために国会に出られたら迷惑だ/人は生業で稼がないと生きていけないが、逆に何の仕事もしなくても生きていくことはできる、仕事というのは自分の足しにするものではないからだ、職業で貴賎を競争している一部勢力があるが、彼らにはそれぞれの為した仕事そのものを誇ろうとする発想がない。
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