☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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QHz(2)

きなナゾが解けた。
僕は常に、超ごきげんで生きているが、それでもたまに、わけのわからない疲労を抱えることがある、それの出どころがわからなかったのだが、このナゾが解けた。
ナゾの解答は、「多くの人はウソをついて生きている」ということだ。
逆にいうと、僕はウソをつかずに生きているので、人を疲れさせないということなのだった、疲れる・疲れないというのは、優秀さ・拙劣さの問題ではなかったのだ。

僕はどうせ、遊んでいるうち、自分の周波数に帰っていってしまう、そうすると空気がガラリと変わり、周囲は「もうこの人のこれでいいじゃないか」という平和の空気になる、このとき何が起こっているのか疑問だった。
多くの人は、ウソをついて生きているので、ある地点からは防御と攻撃に切り替わらざるをえないのだろう、そして間違っても攻撃なんかしないように、ぐっとこらえている、それで石像みたいに固まっていってしまう(それはひとつの、やむをえない誠実さだと今になってわかる)。
大前提、ウソをついて生きているのだな、出来が悪いとかそういうことではなく/おそらく、そのウソを取っ払って、本当の(今の)自分の周波数を開放すると、とてもじゃないが人付き合いなんかできないレベルなのだろう、すくなくとも「人付き合いなんかできないレベル」だと、当人に信じられているのは間違いない。
だがここでは、冷静に申し上げておきたい、自分の周波数を開放すること自体は、迷惑になることではなくて、迷惑になるのはそのことに関連して攻撃が生じることだ、人に攻撃や危害を加えることなく、ただ周波数を開放するぶんには、それ自体が迷惑になるわけではない/ただそこを割り切るには、本当の(今の)自分の周波数を、人前に晒して認めるということが不可欠だが。

周波数を開放するのが痛いわけではなく、事情をぶちまけるのが痛いだけだ。

たとえば、「オレは他人のことなんか考えられないんだ、オレはオレがいい思いをする幻想しか胸の内に持てないんだ」ということなら、ただそれだけを堂々と悲嘆すればいい、その悲嘆を肴に、いちおう酒は飲める、なぜなら他人事だからだ、他人事だから同情はしないし、事情をぶちまけられても迷惑で困る、そこでただ悲嘆するだけなら酒の肴にはできる、そしてそうしてウソをやめるというのはまともに生きていくための第一の入口だとも思う。
光がなさすぎてどん底の周波数が、開示され、堂々と悲嘆されるのは、おれの周波数を引き立てる効果もあって、気分は悪くない、それは人間模様というやつなんだろうな、おれはウソが続いている小説よりはサイテーな小説のほうが好きだし、誰だってそっちのほうが好きだと思うぜ。

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