☆いい女☆で行こう!

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合気道は和合の道である

気道は和合の道だ!! まあ僕は合気道なんかやったことないけどな!!
まあ、開祖も塩田剛三も「和合の道だ」と言っているから、和合の道なのだろう、僕は未経験者なのでウンチクを垂れる資格は無いが、それはともかくとして、昨日僕は諸事情あって、人をポンポン投げてきた。
わかったのですよ〜いきなり結論から言うと、人間にはイエスとノーの機能があるのだから、こちらがノーの機能を使わずイエスの機能ばかり使えば、相手は止まること(ノー)ができずに勢いのまますっ飛んでいってしまうのだな、気づいてみりゃアタリマエだったが、これはなかなかの盲点だった。
合気道はよく、「相手の勢いを利用する」というが、それどころじゃねえじゃん、相手の勢いにめちゃプラスアルファを乗っけるんじゃん、こりゃ信号無視して突っ込んできた奴のアクセルを踏んで差し上げて「ゴーゴー♪」とけしかけるような激アツの発想だぜ、よくまあこんな方法を考えつけるもんだ!!

塩田剛三が、合気道の最強の技を訊かれて、「自分を殺しにきた奴と、友達になることさ」と答えたというが、それも納得だ、それは何も難解な極意のことを言っているのじゃない、そこに特殊な奥義があるのではなくて、逆、普段のわれわれこそがアホで特殊なことをしてしまっているのだ、まあ僕は自分を殺しにきた奴にそんなラブリーな方法を採れる自信はないが……(誰もそんな武術家になろうという話はしていない)。
まあ何にせよ、わかったのだ、なぜ塩田剛三が、その人生の後半、いかにも「塩田剛三らしい」というべき実演を見せて回っていたのか/あれは、当人が言ったように、「人を倒すための武術でない合気道」を後世に伝えて回っていたのだ、塩田剛三は有名な言葉として、「人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。そういう人間は自分が最後でいい。これからは和合の道として、世の中の役に立てばよい」と弟子に語った、このことから現在の合気道は一般的に護身術と思われているようだが、そうではない、現在の合気道は塩田の遺したように「和合術」だ。
映像を見ていると気づくのだが、あれって多くの場合(おれは詳しくないので知らんのだが)、左手と右手を陰陽(魂魄)に分離しているよな? で、相手の攻撃は陰のほう(ノーのほう)に向かうのに、技が掛かるのは陽のほうなんだろ、つまり相手は左手(陰)と喧嘩しに突っ込んでくるのに、トモダチの右手に大激突するのだ、だから塩田の技に掛かった人は「元気よく」ブッ倒れて、すぐに「元気よく」立ち上がってくるのだ、まるで励まされたように、そりゃトモダチと出会ったのだから励まされて立ち上がってくる/攻撃者はいつまでも敵(陰・ノー)に触れられないまま、「トモダチ」に大激突し続けることになる、だから見ていて何か愉快な感じが高まっていく、フッ飛ばされた側も何か楽しくなってやめられなくなっていく。
ここで言う「トモダチ」とは何か? そりゃもちろん、敵が「陰・ノー・やめろ、来るな、死ね」なのだから、トモダチのほうは「行けーぃ」「行かんかい〜」「行ったれー」とけしかけるほうだ、それでじっさい、相手はけしかけられて「行ってしまう」ことになる、その結果飛んでいくというだけであって、こちらがブン投げて飛んでいくわけではない。

ブランコの背中側に立ったとき、自分が出来ることは、迫り来るブランコをグッと「止める」か、もしくはグッと「行けー」とするかだ。

ブランコを押された側はどうなる? むろん勢いが増して「キャッキャッキャ」となる、そんな感じでフッ飛んでいく、向こうはもともと「行くで!」とブランコを漕いでいるのだから、後ろからエネルギーを足してやれば「キャッキャッキャ」となるだろう、そんな単純な原理なのだ、それをわざわざブランコの前に立って蹴飛ばされている普段のわれわれのほうが特殊であってアホなのだ。
というわけで、これだけでも大発見で、大展開で、大爆笑だったのだが、発見はそれだけではなかったのだ、話はその2に続きます、あーもう朝になっちゃったよ。

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