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WS報告006(4)/霊能力について与太話

わゆる超能力というか、霊能力みたいなものに、興味を惹かれるというか、そういう人は多いものだし、僕だってテレビ番組等では、「FBI超能力捜査官!」みたいなやつは大好きだ、ああいうのはつい盛り上がって最後まで観てしまうな、理由はわからないが何かが面白いのである、じゃあ面白くないものを観るよりはマシなので、超能力や霊能力みたいなものプリーズ、というふうに、どうしてもなる、それはある意味、健全だ。
で、たまにはそういうネタもいいかと思い、そういう与太話も開示しておくけれども、そんなもん糸でつるした錘をくるくる回してみたり、水晶玉をナデナデしてみたって、無駄でっせ、そういう「聞いていないはずの情報が直接得られる」というのは、どちらかというと「勝手に入ってくる」というものなので、自分が精神集中しても意味がないのだ、家にスキマ風が入ってくるような現象だから、むしろ精神集中なんかしたら鉄筋コンクリートのマンションみたいに、スキマ風は入ってこなくなる(そして、入ってこないほうがいいんだよそんなもん)。
身も蓋もなく言うと、そういった現象は、単に他の人が持っている「心当たり」が、自分の中にも流入してくるというだけなので、人と具体的な「つながり」が形成できない人は、いくら生年月日や氏名の画数を研究しても意味が無いのだ/自分の「心当たり」が自分にはわかるように、「つながり」が起こると、相互に「心当たり」が流通することが割と起こるというだけだ、別に神秘的なものではないし、けっきょくトロい奴にはそんな能力得られないから関係ないのだった、トロい奴が霊能力で救済されるというのは完全に幻想でしかない。
今回のワークショップで、「ついでに言うけど」と、少しそのことも話した、「こうやって、『つなぐ』だろ……するとこのとき、実は、何かよくわからん、『指先?』『スーパーマン?』『上履き?』『外国製のポテトチップス?』みたいな情報も入ってきているんだ、それはいつものことであって、いちいち注目しても意味がないのでいつも無視してんだよ」。

で、これもいつものことだが、そういうナゾの流入情報について、あとで本人に問い質してみると、やはり本人はそれらの単語やシーンに「心当たり」があるのだ、「そういえば先日、仕事で上履きのことを……」と/そして、何よりこのことが重要だが、それはただの当人の心当たりであって、その心当たりを僕が知ったところで、何も役に立たないし、「話したって同じじゃん」ということなのだ、このことが一番大切だ。
なんというか、このことのバカバカしさに気づかなくてはならない、たとえば目の前に一冊の本があり、もしその本を開かなくても、一ページ目に何が書かれているのか透視できる能力があったとしよう、そのとき、たとえその能力が本当にあったとしても、「……本を開けばよくね?」ということなのだ、わざわざ透視する必要がねーじゃんということなのだ/それぐらいその手の霊能力というのは、あったとしても意味がないということなのだ、このことによくよく気づかなければならない。
どうかこのことを、鼻血が出るまで理解しろ、「話したって同じじゃん」といえばまさにそのとおりで、「わざわざ透視するような、いかがわしく不確かなことをせんでもいいでしょ」ということ、それはつまり、己の心当たりについて、言葉を以て話せば伝わるということのほうが、超能力よりも上位にあるということなのだ、このことに気づかないとえんえんカルマが増産されるだろう、超能力がスゲーのではない、超能力よりも遥かにシュアーに伝達ができる「言葉」の使用のほうがスゲーのだ、このスゲー度の上下を見誤っていると、知らないうちに「言葉」を冒涜することになり、本人の身が懲罰のように荒んで衰えていく。
オカルト愛好者が、身そのものとしてダメ人間になっていくのは、これが理由だ、テレパシーでおぼろげに伝わることより、言葉で明確に伝わることのほうがはるかに偉大だということ、ところがわれわれはこの「言葉」という偉大な能力の賜りしを、「誰でも持っているからつまらん」と、つまり己の選民意識を鼓舞してくれないというしょーもない理由で、低級に扱う、そしてテレパシー風情のほうをありがたがろうとするので、カルマが溜まるのだ、「言葉」という能力そのものを低級に扱うということは、すべての聖典を低級に扱ったとみなしてよろしい、だってどの聖典だって「言葉」を通して書かれてあるのだからな。

テレパシーの上位に「言葉」がある。

そんなことは、当たり前であって、誰だって選択肢を与えられればすぐわかる、1.「言葉」の能力をすべて失う、2.テレパシーの能力をすべて失う、この二つのうちどちらかを選べと言われたら、どう考えても2のほうを選ぶしかない/「言葉」の能力をすべて失うというということは、今ここに書かれてある言葉群もすべて失認されて、すべてただの模様にしか見えなくなるということだぞ、そうなるともう獣のようにしか生きられなくなる。
物事の成り立ちとしては確かに、たとえば現在のPCというのは、もともと「電卓」から発達したものだ、どちらも電子計算機でしかないのだから、それと同じで、元々はテレパシー的なものから、「言葉」に発達していったのだろうが、テレパシーが原初だったとしても、上級と低級を入れ違ってどうする、「電卓がブッ壊れるのとPCがブッ壊れるのならどちらがキツい?」、電卓が壊れてもPCのexcelではるかに上位に計算がこなせるじゃないか/PCがあれば電卓は基本的に要らんのと同じで、「言葉」があればテレパシーなんぞは基本的に要らんのだ、そのことの正順を誤認しているから、「言葉」の機能がブッ壊れ始めている、水晶玉をナデナデしていたとして、水晶玉よりそれを撫でる「手」のほうがはるかに上級で奇蹟のものだということに気づかなければならない。

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