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WS報告006(8)/「聞く」ための「自信」のワーク
「聞く」ということが初級クリアの課題になるのだが、これが実際にやらせてみると、まず誰にもできない。
僕が実演するぶんには、誰でもスパッとわかるのだ、つまりやられるとわかるのだが、やらされるとわからない、この困難な課題をさっさとクリアさせるために、学門をきっちり詰める必要がある。
そこで、ふと、何かがささやきかける感じがするのだが、どこからともなく、「聞けないのは自信がないから」という感じがするのだ、「はて?」と思うのだが、なぜかなんとなく、言われてみるとそういう気がする、「聞けないのは自信がないから」という、言葉のほうがこれは先にアプローチしてきた。
言葉の側から伝えられたものなので、これは、どういうロジックでそうなるのか、これから学門を詰めなくてはならない、たださしあたって、「聞けないのは自信がないから」という線を追っているということを、今のところ報告できる。

今のところ、こういう仮説が立っている、「横隔膜がエコーを聞く器官だけれど、ひょっとして、他人のエコーを聞く前に、自分自身のエコーさえ聞こえていないのでは?」「自信という言葉は、オウン(自分の)シグナル(信号)という意味だから、そのオウンエコーが聞けないのなら、他人のエコーなんか聞き取れるはずがないということでは」「じゃあオウンエコーの受発信を恢復するワークをして、自信を回復して、それから後に、他人を『聞く』という手続きになるか」、こんな感じで話が進んでいる。
それで実際に、あくまで仮のことだが、一般的には「呼吸法」あるいは「呼吸力」と呼ばれているらしいものを転用して、それぞれ自分の身体の一部を、「心臓担当」から「横隔膜担当」に切り替えさせるというワークを作ってみた、これはやらせてみると、「アッ」というまに、得られるべき動きを生じた、それで「あっ、これはイケるかもしれんね」ということになった。
というわけで、みなさん、次回からのワークは、絶対に参加したほうがいい/僕はこれを「呼吸法」と捉えることには反対で、あくまで横隔膜が本質であって呼吸は横隔膜をはたらかせるための便宜でしかないと思っているのだが、まあ得られるべき結果が得られるのなら方便として大採用でかまわないだろう、このワークの発明で初級クリアへの道は大幅に短縮されたという予感がある。
ここしばらく、ワークショップなるものを再開して、改めて思うのだが、習うべきことを習わないのは本当に損だ、僕はもともと先生というガラではないし、ワークショップという形態が自分のものとしてカッコイイとは思っていないのだが、それにしても習うべきを習わないのは損すぎるということで、ワークショップを開催しているわけだ、さっさと習ってさっさと卒業するのがベストだと思う、習ったものが今どうなるということではなくて、十年後にえげつない差になるということなのだ、どちらもふつうに生きていくだけなのに大差がつくのは損すぎるじゃないか。

あるていど、全身を「横隔膜担当」にしたことがなければ、「自信」は絶対に得られない。

たとえば、まず胸から肩・肘・指先までを、気魄(心臓担当)でつなぎ、次に、たとえば肘から先を「切り」、霊魂(横隔膜担当)で動かすということは、人間の特殊な技術ではなく、基本の技術だ、何がどう基本の技術で、その基本ができていないとどういう違いが出るかは、さすがに目の前で見せてもらわないと理解できない、別に僕に習う必要はないが、自分の才覚で「元からできている」という人以外は、どこの誰にでもいいので習いにいけ、ただ僕の知る限り、このネタは教えられる人がたいへん少なくなっている、こういうことはハズレを引くと災難なので、さっさとアタリを引くこと。
身体を気魄・心臓担当から、霊魂・横隔膜担当に切り替えるということ、これはやはり、本質的には「呼吸法」というわけではないのだ、これを呼吸法と呼ぶことは、つまりどこまでもノンフィクションに括り付けようとしている主義があるということなので、けっきょく「言葉」に到達しようというところで閉塞して、言語が呪に戻ってしまうだろう、「呼吸法に見える」のはあくまで便宜にすぎない、僕はあくまでこれを「代用的呼吸法」と呼ぶことにしよう。
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