☆いい女☆で行こう!

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WS報告006(11)/「本番」は完璧世界

にかく長い一日だった、28日だけが異様に長く感じた、ワークショップ終了後、なぜか三泊四日の合宿でも終えたような心地だった、12時間前のことは遥か昔のことのように感じた/すべてスタジオ内でやったせいもあるかもしれない。
何かきっと、とてつもないことがたくさんあったのだ、思い出せないほどに、何しろその翌日には外国人にグル呼ばわりされるありさまだからな/横隔膜を同調させて「聞く」という、僕にとっては当たり前のことをし、その後「さっきまでのは練習ね、次に『本番』をやります、本番はこう」とした。
僕が、その「本番」のマスター状態に入ると、何か衆目からは、「めちゃくちゃカッコイイ」と見えるらしい、「そうなの?」と、僕はその自分自身を観られるわけではないので初耳だったのだが/「めちゃくちゃカッコイイ」というからには、そのとき何かあるのだろう、実際僕は「『本番』はこうね」と確信をもってやるくせに、そのとき自分が何をやっているのかは知らないのだ、ワークショップを通してそこのナゾを自分で解き明かしていくことになる。
そして、アホみたいな話だが、僕が「本番」を始めるとき、僕は世界の中心に立つが、「世界はすでに完璧であるから、何もしない、何もしないのだから、思いっきりやりきってよろしい」という接続に入っている、つまり率直に言うと「完璧世界」に接続している、接続するも何も、もとよりこの世界は完璧だけどな(もとより完璧世界がなければ、そこに接続するなどというのは妄想でしかない)。

「完璧世界」には、生も死もないし、時間なんか流れていないし、無限にきらびやかで静かで、わざとらしい自由も不自由もない、成功も失敗もない、傷を入れることもできない、どれだけすさまじくてもいいし、すさまじくても静寂だ、そこには僕がいるとかいないとか、僕が生きているとか死んでいるとかいうこともないのだ、だからすべてフンフーンみたいなものだ、何をどうしてもプラスにもならないしマイナスにもならない、完璧は変動しない/完璧世界という、世界というより「国」があるような感じでもある。
「『本番』はこうね」と言い出した瞬間から、僕は正直、ワークショップどうこうのことなんか忘れているし、技術うんぬんのことも忘れているし、横隔膜だのエコーだののことも忘れている、すべてのことが「そりゃそうなんだろう」けれども、「そりゃそうなんだからそれでいいんだろ」としか感じられていない、完璧世界でのことは、何かが始まったり終わったりしないのだ、だから何もなかったことになるし、元から何もかもがあるし、何もかもがあってかまわないし、つまり「ある」とか「ない」とかいう事象そのものがないのだ、「湖の中に雨が降るか?」みたいな話に僕には聞こえる。
真空だの無限の爆発だの言っているが、ヒッグス粒子前の真空で大爆発があったらそりゃビッグバンなのだろうし、ビッグバンは宇宙開闢で当たり前だ、じゃあそのビッグバンはどこから来たかというと、宇宙開闢の前なのだから「物語」から来たのだろう、「物語」が「完璧世界」なのは当たり前だ、その完璧世界からビッグバンがポコポコ量産されても何の不思議もない、たしか最新の理論では宇宙って10の500乗個あるんだろ、もっとあるような気がしなくもないが……10の500乗ということは、1のあとに0が五百個つくということだ、こりゃ量産以外の何ものでもない。
「物語」は「完璧世界」であって、「完璧世界」が土台にあるから、宇宙なんか何個でも開闢されてかまわんのだ、開闢されて何になるのかはわからんが、別に何にもならんなら、それこそ好きにしたらいいじゃないか/という、宇宙的な話を広げたいのではなく、ただ僕にはそういう感覚があって、その感覚で人前に立っているときが「めちゃくちゃカッコイイ」らしいので、そういうことなら女子高生にモテるかもしれんな!! ということで、目をつけているのだった、別に女子高生じゃなくても可だ。

魂魄の隙間たる真空に、無限の爆発があって、命令が飛んでくるのだが、その命令はどうも、無数の輪ゴムのような輪っかとして飛んできているような気がしなくもない。

その輪ゴムは色とりどりというか、いろんな周波数できらきら輝いていて、まあそれ自体には何の意味もないのだが、すごくきれいな感じがする、これは完璧世界の断片なのだろうか、まあそんなことはどうでもいいが、僕がその断片輪ゴムの爆発命令を受けたとしても、それは直接人には伝わらないので、人に伝えるときはその爆発のエコーが伝わるということになる、爆発で始まるのだが届いているのはエコーだ、エコーは輪ゴムではなく「世界」だな。
誰でも、世界の「イメージ」を空想することはできるが、空想だけでは「命の令」がないので、その空想には命がないのだ、命はどこから拾ってくればよいかというと、魂魄の隙間の真空から拾ってこいということになる、まあ気づけば僕はいつもそんなことをしている、別にそれがスゴイというわけではなく、「それしか方法がないやん」というのが正直なところだ、「どうすればいいか」の方法を探し回ったあげくようやくたどり着いたのがこれというだけ(ただしこれで満足しているわけでもない、ただのひとつの方法だ)。

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