☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 粗雑と乱暴がもたらしたもの | TOP | 粗雑と乱暴がもたらしたもの3/あなたが慣らされているニセモノ >>
粗雑と乱暴がもたらしたもの2(丁寧に過ごした10000時間)

し、大真面目に、「人と接する」とか、「人の話を聞く」とか、「恋あい」とか、勉強とか学門とか、音楽とか小説とか旅とか世界とか、すべてに向き合って得ていくということを求めるなら、何もかもを、めちゃくちゃ丁寧にしないとだめ、めちゃめちゃ静かに、繊細に、丁寧に、しかも途中で台無しにせず、休まず、息の続くかぎりずっと続けなくちゃだめ。
それは思ったよりもはるかにキツいことで、あなたはすぐに暴れて蹴飛ばしたくなり、何か余計なことを口先で独り言に云い、身体をごそごそさせ、何かテンションを上げたり下げたりし、また何か別の疑問などを思いついたりして、その思いついたことを大切にするふりをする、という逃避の方法を選ぶだろう、今多くの人の芯はそれぐらい衰えきっているのだ。
あなたはひょっとすると、これまで、自分を「弱い」と思ったことがないかもしれない、特に腕力や音声や目力、あるいは脚力というような自我の力を振り回していた人は、自分は「割と強いほうだ」という誤解をしていることが多い、何かを丁寧にやらされると三十秒で「ぶっ壊したくなるw」というのは、「自我」が強いのであって、「人」は弱いのだ、命のない人の典型的な症状がそれだ、三十秒というのは誇張ではなく、衰えた人はもう「丁寧に取り組む」と決めた時点ですでに死にそうになるぐらい衰えているものだ。
今、僕が何を言っているのかわからない人は、たとえばここまでに書いた上の文章↑を、なんとなく理解してもらって、今度は自分の手で同じような文章に仕立てて書き記してみればいいのだ、そうすれば自分の脳みそがいかに「粗雑で乱暴」かがはっきりとわかるだろう、ちなみに←ここまでの文章で、文字数は688字あるので、ツイッターならフルで5ツイート、原稿用紙なら一枚半強だ、あなたは小学校のころ作文で、原稿用紙一枚半の途中で脳みそが行方不明にならなかっただろうか/何かひとつのことでもまともな形にしようとすると、実はケタはずれに丁寧にしなくてはならない。

「丁寧にする、かつ、やめてはならない」ということ、これがひとつの、有効な対抗策になると思う、人と接するにせよ人の話を聞くにせよ、勉強、学門、恋あい、何に向き合って獲得するにせよ、「丁寧にする、かつ、やめてはならない」ということを続ける、真剣に聞くのではなく丁寧に聞くのだ、「真剣」と言い出すと、シリアスになりたがる人はすぐ自分のいつもの必殺技を繰り出して終わりにしたがる。
「丁寧にする、かつ、やめてはならない」ということで、ひとつの有効な対抗策になると思うが、同時にこのことが、「もういいわ」「対抗とかせんわ」と、人々に決定的な放棄とあきらめをもたらしもするだろう、つまりそれぐらいキツイのだ、僕の経験上、かなりの割合の人が、堪えられなくなって「死にた〜い」と投げ出してしまう/「努力」に自信のあった人ほど、こういった修行のたぐいは即座に投げ出してしまう、「努力」という粗雑で乱暴なことをさせてもらえないからだ。
そうした芯の強さ・弱さというのは、それぞれ現在の実力というものがあるので、取り繕っても無意味だし、破綻するまで無理をしても無意味だ、重要なことはただ、自分が自分の弱さを知ることだ、「丁寧にする、かつ、やめてはならない」となったとき、多くの人が自分の弱さ・活力とエネルギーのなさ・衰えぶりに直面することになる、その直面がつらすぎるとき、人はすべてを投げ出してしまうだろう、ときには異様に攻撃的になってでもその直面を忌避するものだ。
それにしても、現在ある状況に、まっとうな対抗策を持とうとするならば、とにかく「丁寧にする」ということ、かつ「やめない」ということ、これを可能な限り執拗にやっていくしかない、実力のていどは人それぞれだろうが、自分がどのように弱かったとしても、そのことを嘆いたり卑下したりすることはない、ただ「丁寧にする、かつ、やめてはならない」ということを土台に取り組むかぎり、それぞれがそれぞれのスタート時点が強くなっていくということ、それは他人と比べっこすることではなく、あくまで自分が自分に課すだけのことだ、そのことを正しくするかぎり、まったく強くならないという人はいない。

「人に話す」「人の話を聞く」、そんな丁寧なことが自分にできると思わないほうがいい。

「○○ちゃんと絡んで、ダベってたの。そんでさあ……」ということなら、問題なく成り立つだろう、別にそれで問題があるわけではない、だがそれで友人とか青春とか恋あいとか、学門とか感動とかいうことは期待するべきじゃない、粗雑で乱暴な者がいじくった畑に称うべき果実が生ることはない、すべてのまともなことは、おそろしく丁寧にやらねば得られないのだ、もしあなたが、僕が言葉を扱うときの脳みその実情を覗き見ることがあったら、端的に「キチガイ」だと思うだろう、その他すべてのことがそう、少しでもまともなものが生じていることの背後には、想像を絶するほどの丁寧さが隠れているのだ。
ある画家が、こんなことを言ったそうだ、不正確な記憶で申し訳ないが、つまり絵を上手に描けることをうらやましがる人に対して、「一時間に1cmずつ線を引いていくなら、誰だって上手に絵が描けるよ」と/少しでもまともなものが生じている背後には、それぐらい想像を絶する丁寧さが隠れている、そうして人はけっきょく「丁寧に過ごした10000時間」だけを己の命の入口にできるが、「丁寧に過ごした10000時間」がどれだけの年数の中で達成できるか、割り算で計算してみるのがいい。

視点変えてこ | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |