☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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愛にあふれた奴でありたかった
こ数年で、何があったのだろう? 特にここ十年、あるいは、東日本大震災以降ということになるか、えげつない変化が、ほとんど万人において起こっている、そしてここ三年ぐらいでメチャクチャになったと感じている。
最もわかりやすいように言うと、少し前なら、僕は誰からということでもなく、「は〜、あなたは愛にあふれた人だねえ」と、感心して言われることが日常的にあったのだ、それで年下のOLさんが、「ちょっとねえ、オゴるわ、オゴらせて」と言い出して、手を引っ張って行ってくれることもよくあった(昔話)。
ところがここ数年、話はまったく逆になった、僕は感心され祝福されるどころか、迫害され攻撃されるようになってしまった、しかも赤の他人からではない、僕が何かを助け、何かを与えようとした人から、決まり決まったように攻撃されるのだ/ちょうど同じタイミング、かつて「は〜、あなたは愛にあふれた人だねえ」と感心されるタイミングと同じタイミングで、「死ね! 許さない! 壊れろ! 失え!」と無言の呪詛を全身から向けられる、何のことか理由はまったくわからず、呪詛の当事者は悪意の所有すら自分では認めていない。
このようなことではつまり、僕自身がかつてのような、愛の力を失ったと見るべきだが、それにしては状況が齟齬するのだ、何しろ僕と初めてあって十五分も経たないうちに、ポロポロ泣きだすような人もいるし、正直なところ僕と会った女性が泣くのは八割方の「定番」なので、僕としては自分の愛がクソになったとは安易に断定しづらいのだが、実際のところ返報されてくるのはなぜか「死ね」だ/僕としてはいつも、人にできるかぎりの愛を向けられたらよいと、とにかく這いずり回ってでも笑わせ、光を明るく灯すことをこころがけているつもりなのだが、その極点では必ず「死ね」と報われる、実際に殴られたりもするし、土下座もよくさせられた、なんのこっちゃわからんので正直もう放ったらかしなのだが、もし僕が土下座して回ることで何かが救われるのなら、いつでも土下座して回りまっせ、という発想は残している、どうせ土下座なんかタダだし、僕にはそこにプライドなんてものはないからな、これは僕の心境の問題ではないのだ。

唯一の、すんなりいく解決は、「僕の愛はニセモノのクソゴミ」と定義し、「Xさんの愛こそ真実で至高」と定義することだろう、そうすればさしあたりすべての迫害は消える。
そして、そのように定義すると、確かにそうかもしれんなあという気が僕にもしてくるのだった、けっきょくこの愛の問題が根っこですべてを台無しにしていると思う、正直なところこの状況を整合するには、僕→Xの愛をクソゴミに否定し、X→僕の愛を至高に肯定するしかない、つまり僕がXさんに向けて、「は〜、あなたは愛にあふれた人だねえ」と感心するしかないのだ、そうすればすべての人が納得するし、溜飲が下がると思う。
そうして考えると、いよいよ、そうかもしれんなという気がしてきて、「そうか、おれは愛がまったくない人間なんだ」という気がしてくる、そして次第に「それで合っているな」という確信が出てきて、「それじゃあ、よーし」という感じになってくるのだが、でもそれだと一方で通りすがりにグル(導師)呼ばわりされるのもヘンだし、わざわざ僕に会いに来て初対面からポロポロ泣き出す女性がいるのもヘンだ。
この問題について、少なからぬ人が、「わたしの側がこじれているんです、あなたの側はおかしくないです」と言ってくれるのだが、それについて「そうかいな」と僕が引き取ったとしても、なぜか僕への攻撃と迫害および、僕の愛に対する否定およびヘイトの感情は、毎年増強されていくのだ、実際に進んでいく事象は「僕の愛はニセモノでクソゴミ、Xさんの愛が真実で至高」という定義のほうだ/「ちょっとは僕の愛も認められるかナ〜」というおぼろげな期待はもろくも霧散し、「案の定だぜ!」という感じではあるが、年々投石の具合がキツくなってくる、しかも赤の他人から投石されるのではなく、僕がヒィヒィ言って何かを与えようとした人から投石されるのだ、それは断じて許されぬ正義の執行として為されるので、そのときは本当にそちらが正義なので僕としては対処のしようがない。

「あなたは愛にあふれた人です」と、上から言われることは増えたが、「は〜、あなたは愛にあふれた人だねえ」と、感心されることはなくなった。

そんな、無理に肯定してくれなくても……といつも思うのだが/つまり、称賛する気にならないものを、無理に称賛しなくていーじゃないか、問題は当人が何をこころの底から称賛する気になるかなのだから、そこでウソをついてもしょうがない。
それよりは正直、僕の愛がニセモノのクソゴミだと力強くみなせるとして、それがどういうふうにクソゴミに見えるかを話してもらえたほうが、僕としては助かる、僕は自分の愛(のつもりのやつ)が、クソゴミでないと抗弁するつもりは一ミリもない、むしろクソゴミかもしれないというのは大いにありえる路線なので、いつも自戒しているつもりなのだ/僕のクソゴミ度を戒告するという立場のほうが、ノリノリでやりやすいという人は少なからずあるのじゃなかろうか。
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