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さっさと整合させるための愛の仮説2
しも、自分は愛を「わかっている」「知っている」と思っている。
にもかかわらず、いざ「愛を」と言われたときの、自信のなさと、挙動不審は何だ。
愛を「わかっている」として、なぜあなたは映画の一本でも胸に抱きしめて眠らない?
あなたが数年前に、愛したつもりのものが、今はもうきれいさっぱり消え去っているのはなぜだ。

愛を「わかっている」「知っている」として、じゃあなぜ、「あのとき、あの人と、そしてあの連中と、深く愛し合った」という事実は残っていないのだろう。
なぜ、「愛だね」「あなたは愛にあふれているね」と言われることがなく、また昨日も今日も、愛の一日とはならなかったのだろう。
あなたの言葉や、あなたの眼差しや、あなたの振る舞い、あなたの向けたもの、あなたの与えたものに、息を呑んで震えた人は、誰かあったのだろうか、「愛」は本来、それぐらいの威力が日常的にあるはずだ。
意地悪を言っているのではない、たださっさと進むべきなのだ、すべてを整合させるには、「愛がわかっていない」「愛を知らない」と捉えなおすしかない、今これを理と取るものは、自明の理としてこれを取るだろう。

愛の写真を撮ろうとしても、あなたは「キメ顔」をする。

あなたのキメ顔の写真が示されるとき、あなたは「キメ顔がわかっている人」だ、そのことに疑いはない/それと同様に、あなたは愛の顔を撮ればいいのだが、そうしようとしたとき起こる、挙動不審なこころの動きは何か? あなたは本当に「キメ顔より愛のほうがよくわかっている」か、それはとても困難なことのはずだ。
愛の教育を受けなさい、さっさと次のステップに進まないとだめだ、何しろそちらが正規のステップなのだから。
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