☆いい女☆で行こう!

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是正は悲劇を縮小するが幸福をもたらしはしない

女平等と、その格差についての揉め事は、すでに回復不能な混乱にまで陥っている。
どうせどこにも聞き入れられない意見だが、僕が切実に感じることは、端的に言って「幸福はもうない」ということだ、奇妙なことに聞こえるかもしれないが、たとえ男女平等が成り立っても、あるいは男女格差が保存されても、どちらにしても幸福はもうないだろう、たとえ平等社会が成り立ったとしても、そこにはなぜか「不幸な平等社会」しか残らない。
なぜかというと、逆に考えればわかりやすいが、われわれが幸福になろうと望むなら、格差社会も幸福なものでなくてはならないし、平等社会も幸福なものでなくてはならないからだ、「格差から平等へ舵を切れば幸福が得られる」というのは幻想で、それが幻想であることはかつての共産主義活動の破局を見ればよくわかる、平等を希求した活動はけっきょくナゾの血まみれで終わった。
格差社会は幸福でなければならないし、平等社会も幸福でなければならない、たとえ専制君主国家でも、民主共和制国家でも、同様に幸福でなくてはならないのだ、つまり「是正」で幸福を得られると発想するところに、本質的な逃避がある、この逃避はなぜか酸鼻を極める流血で報われるのだ。

むろん、言うまでもなく、男女差別は「不当」だ、女だから大学に行く価値がない、などという価値観を押しつけられるのは「不当」以外の何物でもない。
だが、ここで緊密なバランスが取られた悟性が必要になるが、われわれは生きるうちいくらでも「不当」というものに直面するとして、「不当」はわれわれの「不幸」の理由ではないのだ、これを混同することでわれわれは行方不明になって、加速すればするほど流血の池へ沈没していくことになる。
なぜ「不当」は「不幸」ではないと言いうるかというと、その対極、「幸福」のほうも、やはり「正当」に得られるわけではないからだ、正当なら幸福とは言えない以上、不当が不幸と定義するのも誤っていることになる。
「不当」というのは、何もいいことではないので、むろんさっさと是正されるべきなのだが、不当が正当へと是正されたところで、幸福はこれっぽっちも得られず、不幸度は何も変わらないだろう、そうなると単に、不幸な者が壇上に駆け上がるというシーンが創り出されるだけになる、当人は己の不幸を己の不徳に帰責するつもりがないので、次はまた新しい是正ネタを槍玉に挙げることになるだろう。

あなたは差別を受けても、幸福でなくてはならない。

最も前向きに言うと、そういうことになる、僕は人を不幸に導く言葉は発したくないので、当たり前のように前向きに言いたいのだが、われわれがこれから得ていく平等社会は、あなたを貧困国のボロ布を着た少女より不幸にさせる可能性が大いにある、われわれは叡智としての幸福論にまったく向き合わないまま差別論と平等論だけを取り扱ってきたので、幸福については無知蒙昧なのだ、そうした不遜の無知蒙昧はしばしば懲罰を受ける。
どれだけ平等になった社会でも、誰にも愛されず、誰を愛することもなく、目覚めが光り輝かず、夢心地の中でぐっすり眠れないのならば、幸福はない/不当は是正されるべきだが、そのことに幸福の可能性などわずかも見いだしてはならない、不当の是正は単に<<悲劇を縮小する>>というだけにしかならず、あなたは悲劇の主ではなく単なる不幸の主なので、不当の是正によって救済はされないわけだ。

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