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「永遠の命」というが、命は永遠で当たり前だ

リスト教方面などで、よく「永遠の命」ということが言われるが、本質的に「命」というと、永遠なのが当たり前だ。
このことが難しく言われるのは、単に、「生」と「命」がごっちゃになっているからにすぎない。
「生」というのは肉体的に「生きる」ということだが、「命」というのは「命令」のことだ、これをごちゃまぜにするから混乱する。
誰もこの肉体が永遠に生きるとは考えていない、そういうアホな話ではなく、「生きながら何の『命令』を受けているか」という話だ、「肉体的に生きる」は有限だが「命令」は永遠だという、ただそれだけのことだ。

われわれの肉体は、ノンフィクションに存在し、時間の流れる空間に所属しているため、これが永遠ということはありえない、どれだけ粘ってもやがて地球がなくなるのでどうしようもないだろう。
一方、「命令」という現象があって、これはフィクションに存在しており、フィクションは時間の流れる空間に属していないので、こちらは永遠だ、そもそもフィクションは時間軸に干渉されないのだから、○年とか△ヶ月とかいう数値は意味を持たない。
「命」を「命令」と言い換えればそれで済む話だ、誰だって「生きている」のは間違いないが、誰だって「命がある」とは限らないということ/命令が下されていても、それをさっぱり聞いてねえという人はいるだろう、じゃあその人には命がない、生きてはいるが命はない。
そして、その「命令」というものは、「愛」という形で聞こえてくるものだし、聞こえてきたときには「わたしの命(めい)」として聞こえてくるので、それは「客」ではなく「主」だということ(客体[あれ]ではなく主体[わたし]だということ)、その意味で全身全霊を「愛」に向けないと、いつまでたっても「命」が聞こえないと、ルカによる福音書第10章の25節〜28節に書いてある、こんなことはクリスチャンじゃなくてもわかる。

永遠の命というのは、ナマモノを無限保存できるということじゃない。

字義のとおり、「生」はナマモノだ、いずれは死んで腐り果てるだろう、そんなことは人間でもニワトリでも変わらない、そのナマモノと「命令」をごっちゃにするのは、単に国語のレベルとしておかしい。
孔子の言にも、「齢五十にして天命を知る」というのがある、「天からの命令を知る」わけだから、けっきょく永遠の命令だろう、そんなことは東洋も西洋も同じだ/ナマモノが永遠なわけがないし、「命令」なんてものがバクテリアで腐敗するわけがない、「永遠の命」といって、命が永遠なのは当たり前だ、問題はその「命」の一切が聞こえないこと、つまり「命がない」ということだ、その命を聞きとりそこねたら、われわれは本当にただ腐っていくだけのナマモノとして生涯を過ごすことになるのだろう。

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