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「永遠の命」というが、命は永遠で当たり前だ2

単に言うと、「ナマモノのわたし」と、「命のわたし」があるのだ。
ナマモノのわたしが、「だまっちゃいない」と考えればいい、ナマモノのわたしの、身口意が、だまっちゃいないのだ、ナマモノ身口意が「言い続ける」、言うのをやめてくれず、聞くことを一切してくれないのだ。
ナマモノから生じている「わたし」は、吾我であって、これが「カルマ」の実物だ、このナマモノとして身は燃えさかり、口はほざき、意はこだわるのだ、このまさに「だまっちゃいない」が際限なく続く。
このナマモノのわたしが、「我(が)」のわたしだ、聞くためのわたしではなく、言うためのわたしだ、争い、ねたみ、ひがみ、うぬぼれ、むさぼり、うらみ、にくむ、そのためだけに存在する「わたし」だ、こんな「わたし」を自己実現させたら、史上すべての叡智が腹を抱えて大爆笑するだろう。

一方、「命のわたし」は、「命令」を聞くためのわたしであり、その命令を履行するための「わたし」だ。
その命令は、どこからともなく「愛」という形でやってくるのだが、それがどこから来ているのかと訊かれても、「さあ?」としか答えられない、別にどこから来ているかは問題ではないし、「強いていうならわたし自身の命令かな」ということになる。
その、「わたし自身の命令かな」で合っているのだ、「主」の命令なのだから、ところがここでトンチキは、その「わたし自身」というのを「わたし自身かぁ〜」と誤解しやがる(恐怖)、この誤解したナマモノ業火さんは、もう二ヶ月ごとに別の炎に焼かれてそのたび身口意が「だまっちゃいない」なので、どうにも手がつけられない、また誰も手をつけてやる義理はないのだ。
「ナマモノのわたし」は有限だし、「命のわたし」は永遠だ、構造はこのようにシンプルなのだが、ただ一点、ナマモノのわたしは「だまっちゃいない」ので、基本的に、ナマモノのわたしが這いずりまわるだけで一生は終わっていくのだった、別にそれが悪いことではないだろうが、どこまでもいっても「命はなかった」という事実だけは残らざるをえない。

「ナマモノのわたし」は、なんと他人の命にまで「だまっちゃいない」。

ナマモノのわたしは、だまっちゃいないので、基本的に命なんて聞こえてこないのだが、それどころじゃない、かろうじて命が聞こえているかもしれない人に向けて、その人の命も聞こえなくするように、はたらきかけて「だまっちゃいない」のだ、これでは本当に命の強奪者でしかない/「よっしゃうちらのオルゴール口を全部開けて何も聞こえなくしてやろうか」という構えだ、これを総じて「呪い」という。
ナマモノのわたしではなく、命のわたしが始まらなくてはならないのだが、なるほどそうかと思ったところで、そのことに向けてもナマモノのわたしが「だまっちゃいない」ので、いつまでたっても命のわたしが聞こえてくることはない、だから、ただ漠然と、「永遠の命とかいうものが、ある人にはマジであるらしい」と、ぼんやり知ったままイライラしていくしかない、ひどい話だが本当に「イライラしていくしかない」ということもあるのだ、ナマモノのわたしが「だまっちゃいない」というのはそういうことだ、言わせる方法は無限にあるのに聞かせる方法はひとつも存在しない。

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