☆いい女☆で行こう!

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「自動的に殺すマン」と、「自動的に命を与えるマン」
(説明は省く)僕はすべてのことに命を与えてきた。
自分のすること、自分の営むことに、命を与えるのは本来当たり前のことだし、僕はそのようにして何の問題もないのだが、環境的な問題が起こってきた。
環境的な問題、つまり、現代の多くの人は、「自動的に殺すマン」になっていて、僕が命を与えたものを自動的に殺していくのだ。
僕はもう、それでもかまわんので、お好きにどうぞと思っていたのだが、なかなかそうもいかなくて、何がまずいかというと、僕が命を与えたものを、殺すマンの人が殺していくと、その殺したことによって殺した当人が呪いを受けるようなのだ、それで僕は「命を与える」ということに手加減するようになってしまった、そのことで長いあいだ困っているのだ。

「命を与える」といって、その程度を、加減することはいくらでもできる、ただ、命を与えるということのていどが薄いものについては、僕はどうもやる気がしない、だらしなくて情けない感じがしてしまう、だからいつも、本当の命を渾身で与えることがしたくてウズウズしている。
だが、「自動的に殺すマン」の人は、その僕が渾身で与えた命のものも、自動的に殺してしまうだろう、瞬殺でなくても必ずじわじわ殺してしまう、そうしたとき、殺すマンの人が受ける呪いはきっと膨大になり、償却不能になってしまう/まあそれでもいいっちゃあいいのだが、実際にはその直前で危険を感じて程度を抑えてしまう、殺すマンが抑えるのではなく僕が抑えてしまうのだ、つまり「命を与えるマン」である僕のほうが抑えてしまい、ありうべき血祭りと大呪を回避してしまうということ。
ここまでくれば、逆にいっそ、僕が「命を与える」ということを、やめてしまうか、ごくごく薄味にしてしまうのも一手なのだと思うが、困ったことに、僕はそうした薄味のことが、どうしてもやる気になれない、「命を与える」ということをしないということは、つまり僕が命のない日々を過ごすということだから、どうしてもそんなことに僕は堪えられないのだ。
つまり、見ようによっては、僕の側も「自動的に命を与えるマン」であって、そのタチの悪さは、「自動的に殺すマン」と大差ないのかもしれない、まあこうして何の解決にもなっていない話をしているのだが、より決然とやっていこうかなという気もしてきていますと、漠然とした報告もしておこう。

一部、僕が命を与えたものを、殺さない人もいます。

うーん、もっと決然とやらないといけないのだろうな、もともと賢い人はいいが、経験が浅くまだ知恵を得ていない人は、無条件で「自動的に殺すマン」になってしまう、年齢の若い人にとってそれは酷な話だ、せめて「命を与える」ということがどういうことかぐらい、説明してやってもいいのかもしれない、だがどうも、僕は自分がそういうことをエラソーに説明するのが苦手でね……
参考までに、顔に力が入っている人、声が力んでいる人、腕から手が力んでいる人、目を剥かないと話せない人がけっこういると思うが、それは「殺す力」が入っているからそうなっているのであり、「殺すマン」をやめないかぎり、その力が抜けることはない、そんなこと言われても参考にならねーよという話で、まさに参考にならないのだが、どれだけナヨナヨにして力を弱めたとしても、根本たる「殺す力」は消えないので、まあそういう人も僕と同じぐらい困っているよねという、物憂い話なのであった。
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