☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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すべてのものに命を与えること
あいいか、というよりしょうがない、僕はけっきょくすべてのものに命を与えるしかないし、多くの人は、それをことごとく殺すことに、自動的になるだろう、それがどうなるのかといって、僕は「知らん」と言い果てるしかない、誰だって自分がやりたいようにやっているのだ、殺したがるモンを他人がどうこうしてやれるわけがない。
とはいえ、初っぱなから僕は殺されるわけで、殺されたらただちに産みなおさねばならず、僕はもう無限に産み出せるので問題はないが、ただ僕のやることと目の前の人がやることが常に正反対を向くわけなので、それの居心地が悪いのだ、お互いに居心地が悪くなるのだと思う、これだけがやっかいだ、二十年前にはなかったストレスと違和感がこれだ。
単に生きているというだけ(気魄)ではなく、霊魂で「産み出す」ということをして生きているということ、このはたらきを神道で「産霊(むすひ)」というが、いま人はこの産霊を見物するというのではなく、目にしたら無性に殺すという性質になっている、それでこのところ、僕が産み出せば産み出すほど、殺戮が繰り返されていって不穏になっていく、ということが起こっているのだ、僕は産霊をやめないし、殺す側も殺しをやめられるわけではないからな、傍から見れば「なにやってんの」という具合だと思うが、とにかく無限に産み、それが打ち漏らしなく殺されていくのだ、僕はそれを憎んだり怨んだりはしないが、殺した側は勝手にセルフ呪いにかかって何かドエライことになっていく模様だ(知らん)。
別にいーじゃねーか、という気がする、僕は産み出すことをやめないし、ある人は殺すことをやめないだろう、お互い限界を振り切るところまでやろうぜ、と僕は思う、むろん本当にヤバイことになるのだろうが、そのヤバイものは僕の世界の側へ入ってくるものではないので、別にいいのだ、逆に「あっちは本当にヤバイやつの世界にいくんだ」ということがハッキリしたら、それぞれに明確な納得がいくと思うし、もしそうならなかったら、何もならなくてよかった、ということで済むのじゃないか。

つまり、「おれは産み出す側をやるので、お前は殺す側をプリーズな」「がってんだ」という、そういう割り切りがいっそできないものかという、新しい発想を得ているのだ、むろん僕は殺す側をやらされるのはイヤだが(ひでーことになるに決まっている)、どうもこのところ、殺す側がビビってモタついているから、モヤモヤして気色悪いのだ、人それぞれ自分の信じているところへ突っ込めばいいのにと、つい思ってしまう、もっと明確にファンキーに、僕をディスってくれたらわかりやすい話で、そうしたら僕は「おう、なおも産み出し続けるぜ〜」というわかりやすいものを見せられるのに、どうもこのところは殺す側がだらしないのだ。
まあそりゃ、一部には、はっきりとした自分の地獄落ちのヴィジョンを見た人もいるのだから、怯むのもわからんではないが、そう何というか、自分の行く道に己でケチをつけるものではないぜ、どうせ道が切り替わらないなら、どうブレーキをかけてもやがてはその先に行き着くじゃないか、僕は殺される側でかまわないので、もっとはっきりと己の本属を示してみてはどうか、そうしたら話は in short になり……「死ねよ」「死ねよ」と連呼すればきっとすっきりするぞ、短期間で可能な限り殺し尽くしてみたら、それがどういうことなのか学門としてはっきりするかもしれないじゃないか。
僕はもう、他人の話を聞いてもいまいちしょーがないので、とにかくすべてのものに命を与えることを続けていく、産み出し続けていくのだ、それに呼応して、相反する属分の人は「殺し続けていく」という表明と宣言を為してはどうかと思うのだが、どうだろうか、つまり「即座にハッキリ殺すマン」の堂々たる誕生である、この両者の拮抗が互いの道を切磋琢磨するのには違いないだろう。
僕としては、味方ヅラする人が、じわじわ「やっぱり殺してしまいますね」とやられるほうが、もやもやしてかなわんのだ、そうではなく「今日もあなたの産み出したものを全部殺しますよ〜」「おう、よろしく〜」とお楽しみにしあうほうがよいのではなかろうか/そうか、今気づいたが、多くの人はきっと、己が殺すマンであることを不服に思っており、自分の殺す行為が産み出す行為だと信じられるようにスリカエを行っているのだ、そのことがややこしさを形成しているのだな、うーむ現代人は殺すマンを誇ってよろしい、事実を曲げて命を与えるマンだと強弁しようとするからおかしくなるのだ。

僕と異なることをしよう。

そうすると、逆にはっきりする、「殺すマン」というのはこういうことで、「命を与えるマン」とはこういうことなのだと、逆にはっきりするだろう、僕と異なることをしながら、命を与えるうんぬんを考えるから混乱するのだ、僕と異なることをしながら、殺すこと、命を奪うことを考えれば、バッチリ整合して混乱はなくなる、「今日も殺すマンの日々ですよ〜、今日もいくつか命を奪ってきました☆」と戦果を報告すれば、その中に混乱はない。
多くの人は誤解しているかもしれないが、「命を与えるマン」といえば聞こえはいいし、「わたしもそっちがいいです」と言いたくなるのかもしれないが、このご時世に「命を与えるマン」ということは、ただちに「毎日殺されまくるマン」でもあるということだ、殺されるマンにはなれないだろう? キルミープリーズとは思えないということは、産み出すということがわかっていないということだ/殺されるマンになれなかったということは、必ず勝利してきたということだ、僕に対しても勝ってしまっているので、そんな人が殺されるマンになることはありえない、自分が殺されることが不当だと思っているわけだから、命を与えるマンにはなれないな、そもそも殺されるマンに華があるわけじゃないし、もっと殺すマンとしてノボリ旗を背負ったほうが混乱はなくなるだろう。
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