☆いい女☆で行こう!

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What i've done3
ークショップでやっているようなことに引き当てて考えると、たとえば、相手がつっかかって来たところ、その勢いを「聞き」、その勢いを愛し、その勢いにむしろ加勢の命令を入れてやると、なぜかその当人がすっ飛んでいく、という現象がある、これをやられた人は「うおっ、な、なんでだ!?」となり、その後ゲラゲラ笑うものだ。
このことは、視点を変えれば、「殺す」ということを「他人にやらせる」という方法だと見ることもできる、つまり「殺す〜!」とやってきた人に、「もっと殺したらええがな」と励ましてやるということだ、これですっ飛んでいった当人は、励まされてパワーアップしているので、元気になってゲラゲラ笑ってしまう。
通常、殺すマンであるわれわれは、相手が殺しにきたとき、お茶を濁すか、もしくはマジになって、自分がより強くなり、相手を圧倒して、自分が殺す側になろうとする、つまり「上位殺すマン」になろうとする、そうしてわれわれは己がハイレベルの殺すマンでありうるようにこれまで訓練を積んできた。
重要なことは、殺すマンが突っかかってきたとき、それを躱すとかよけるとかではなく、<<引き続き相手をより強力な殺すマンでいさせてやる>>ということだ、そうしたら相手は元気になり、しかも自分は殺すマンという大不幸を他人に押しつけることができる、これは実に一石二鳥の方法なのだ。

What i've done, 自分のしてきたことは蓄積されている。
何もしてきていない人というのはおらず、必ず何かを殺してきたか、命を与えてきたか、どちらかをしている。
そして、自分がどちらかをしてきたということは、片側を誰かにやらせてきたということだ、自分が殺してきたということは、誰かが命を与えたものを殺してきたのだ、そして自分が命を与えてきたということは、誰かがそれを殺していくということだ。
どちらを「不服」と感じるか……つまり「どうしてわたしの命が彼に殺されなきゃならないの」という不服を覚える人と、「どうして彼の命をわたしが殺さなきゃならないの」という不服を覚える人がいて、前者はバシーンとやる側だ、後者はバシーンとやられる側だ、<<自分がどちらをやるかというより、他人にどちらをやらせるかを考えたほうがよい>>。

What i've done ⇔ What they've done

もちろん、屁理屈を取っ払えば、「殺すマン」などというのはアホの所業にすぎない、ところがこのアホの所業を、自分はやめられないのだ、仕組み的にやめようがない/やめるにはどうすればよいかというと、<<他人にやらせる>>のだ、アホの所業を自分がやらされる(しかもカルマが溜まる)のは誰だってイヤなものだが、他人にやらせるぶんには誰も痛痒を覚えない、だから他人にやらせる。
命を与えるマンの側には、「殺す」というようなことは、「ピンとこない他人事」に聞こえているように、殺すマンの側には、「命を与える」というようなことは、「ピンとこない他人事」に聞こえているのだ、そうして他人事は他人にガンガンやらせるにかぎる/仕組みとしては、殺すマンの側が大不幸に至るのは自明のことだが、それにシメシメと舌なめずりするのではなく、どこまでも他人事なのだ、このように「命を与えるマン」と「殺すマン」は、<<永遠に噛み合わない>>ということを本領にしている。
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