☆いい女☆で行こう!

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【お役立ち】かちかち君の定義

と役に立つことなので、こんな話をしておきたい。
「かちかち山(のタヌキさん)」という民話があるが、これはなかなか、大人になって読み返すと「……」と戦慄するところがある話なので、ウィキペディア等であらすじを読み返してみることをおすすめする。
これまで僕が、何度も繰り返し見てきたパターンだが、何事にも取り組めない人、それどころかまわりまでメチャクチャにしてしまう人というのが、少なからず存在する/これは一定のパターンとして出現する人種なので、法則を見いだしてその存在を定義づけることができる。
その名称は、かちかち山のタヌキさんになぞらえて、「かちかち君」とするのが妥当だ/このパターンは、街中で見かける救急車より数が多いので、いいかげん飽きてしまった。

たとえば、本を読んだり、旅行に出たり、新しくバーに行ってみたり、習い事を始めてみたり、街コンに顔を出してみたり、グルメ巡りを始めてみたりする。
誰でもするようなことだが、そういったことのすべてが、やってみたところで「何をしても無駄」、「何ひとつまともには取り組めない」となる人がいるのだ、<<何をしても「悲愴感」にしかならない>>という典型の人がいる。
なぜそういった、誰でもするようなことが、レベルの問題でなく、「そもそも取り組むことさえまともにできない」になり、「取り組めない以上に、悲愴感をまき散らすだけ」になるかというと、背中に火がついているからだ、背中に背負った柴に火がついて燃えているのだから、そのままで「読書」だの「旅行」だの、「人付き合い」だの「趣味」だの「習い事」だの、してみたところで、まともに取り組めるはずがない。
「かちかち君」と定義しておけば、この後がラクだ、どうしてもこういった人種は一定数出現するし、「そうか、背中に火がついている、かちかち君なんだ」と理解すればそれ以上の理解はない、そしてなぜそんなことになったかといって、「かちかち山」を読めば書いてある。

かちかち君は、本を読んで焼け焦げ、旅行に出て焼け焦げ、新しくバーに行って焼け焦げるが、目の前のものは一切関係なく、すべて己が背負った火を体験しているだけだ。

そんなもん、目の前の取り組みジャンルを変えても、何の意味もないやんけ……彼にとっては、いつも「来た来た来た来た」であり、その「来た」というのは目の前のものが来たのではなく、背中の火が来たのだ/彼はもう、「どこにいる」とか「何をしている」とかがまったく関係ないのだ、いつも「来た来た来た来た」の中で一人焼け焦げているだけで、彼は一人だけずっと焼け焦げワールドを体験し、そのことだけを語り続ける。
こうした人種は、いつも「めっちゃ同じやな!」と確信される典型パターンとして一定数出現するので、観察しても無意味なのだ、この人種はどうしたらいいという問題ではなく、むしろこの先のことを考えるしかないところだ/「かちかち山」によると、その後タヌキはだまされて唐辛子入りの味噌を火傷の薬だとして塗り込まれ、さらに泥の船に乗せられて海中に溶け落ちたところを櫓で突かれて沈め殺されるそうだ、この民話は江戸時代「うさぎの大手柄」と呼ばれていたそう。

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