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命がない現代芸術家Aさん

るほど、そう考えればすべてつじつまが合うな。
なぜ現代人は、命あるものを「殺す」か、それは、己に命がないということを認めがたいためだ。
仮に、芸術家Aさんがいたとすると、このAさんは、これまでの芸術に命があるのを目撃して、比較すると己に命がないということを認めてしまうのがイヤがために、命ある芸術を殺してまわるのだ、そして「命のないものこそ芸術」として、「芸術は死んだ」「無意味の意味」とアピールする活動をしていくことになった。
つまり、命のないカワイソーなボクちんを、肯定するために必死こいただけだ、「芸術は死んだ」とかいって、命から切り離されて見捨てられたのは自分自身なのに、そのことが認めがたいから、ヨソの命あるものを否定することに、第一義の機械的反応を持つだけのゴマカシユニットAさんになってしまった。

つまり、「芸術には命があるぅ〜でもボクちんには命がないぃ〜」というだけで、本来話は済んだのだが、そうとすんなり認められる話ではないらしい、当事者でないので僕はわからんが、命がないというのはそーとーキツいようだ。
そりゃあな、命がないのなら、他の生きものを殺して食事にしているというのは、そーとー後ろめたいものな、せめてベジタリアンかヴィーガンになろうかな、という気を起こすのもわからんではない。
「ボクちんは命がない」ということを、認められないので、あいまいに寝ぼけた眠たい顔をしてごまかし続けるしかなく、はっきりしない声と、不明瞭な言葉、そして状況に応じて感情的に激昂したり、消沈演技をしたりと、あれこれしなくてはいけない、しかしそんなことをしても命がないモンはしょーがないのだ/芸術家Aさんは、自分が存在していない(命がない)から、自分が無意味であり、その無意味を肯定するためには、無意味の意味を肯定せざるを得なかったのだ、とんだ自己都合の芸術だな、まあでもそのサイクルから抜け出すことはもう不可能だろう。
芸術が死んだのじゃないですよ!!! 残念だったねアホのAさん!!! 命のない者は、命のない世界に生きねばならず、それは思議の世界である、この思議の世界には命がないので、この世界において「芸術は死んだ」と見えるだけだ、アンタが本来の世界から叩き出されただけでございますよ、思議の世界に元からミエミエにある論理的限界を、既製品芸術にまとめたところで、誰だって「んなこたぁわかっている」としか反応しねえよ、だって本当に元からそんなことはわかっているのだもの。

「命がないコンプレックス」は、すさまじく堪えがたいようだ。

命から切り離された者は、強制的に思議世界に放り込まれるが、この思議世界に行っちゃった者が、命ある誰かを見上げていても意味がねーよ/端的にいえば、思議世界と命世界があるわけで、どーも思議世界の者はコンプレックスがえげつなく、自分たちこそが命の徒であると自認したがり……だからこそ、その救いの自認に脅かしをかけてくる「命」の存在を、殺害せずにはいられないようだ、それだけ「命がないコンプレックス」はキツいのだろう。
本来、生きていくのは何もみじめなことではないが、命がないままに生きていくのは、どうしたってみじめなことだ、命がないのに朝は起きねばならず、覚えごとをせねばならず、労役せねばならず、食事せねばならず、恢復に眠らねばならないのだ、そこで「何の命もありませんけどね!」というのはみじめすぎる、だがこのみじめすぎるのがマジの事実なのでしょうがないのだ、朝起きたときから「うおおお〜命が呼んでいる〜メンドクサイけどしょーがねえええええうおおお」とはならないんだろ? ホラAさんの渋そうなゴマカシ顔を見ろよ。

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