☆いい女☆で行こう!

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命がない現代芸術家Aさん2

ぶん、命のことがサッパリわからない人が少なからずいるのだ。
そりゃ、命の世界から思議の世界に転落したのではなく、生まれてこの方、思議の世界にしかいたことがありません、という人なら、命の世界なんて「???」としかならないだろう/あるいは「命、なのです……」とトンデモナイ誤解の持論を振り回してしまいそうだ。
このことを考え、また書き話すと、メキメキっと身体に外圧が掛かる感触がある、これはとてもシンドイ、これが僕の殺される理由なのだろう、<<逆に向こうも「殺される」と感じているはずだと推定できる>>、殺されそうに感じるから僕のことを殺すのだろう。
Aさんだって生きているし、僕だって生きている、「生きている」ということはそれだけで涙に値することだ、けれども/同じ場所で二人がたたずんでいるとき、Aさんには命がない、僕には命がある。

「生きる」ということは、エネルギーの摂取と吸収だ、われわれは酸素を吸って二酸化炭素を吐き出しているが、それは酸素のほうが二酸化炭素よりもポテンシャルエネルギーが低いからであって、差分のエネルギーはわれわれに摂取されている、炭水化物等が「分解」されるのも同様だ、われわれは一つのブドウ糖(C6H12O6)を六つの二酸化炭素と水に分解するが(6CO2 + 6H2O)、分解後のほうがポテンシャルエネルギーが低いからこそ自身にエネルギーを摂取することができる。
一方「命」ということは、逆方向、エネルギーの放出と供与だ、六つの二酸化炭素と水をブドウ糖という一つのものに作り上げて放出できれば「命」になる、バラバラの食材を一つの料理に作り上げられれば「命」だ、この場合料理は食材の単なる「加工」ではなくなる/バラバラのものを一つのものに作り上げること、このことはエントロピー法則の逆行であり、物理学的にナゾとされる「命」の性質とも整合する。
「生きる」と「命」は逆方向のものであって、「生きる」は一つのものをバラバラにして己がエネルギーを吸収すること、「命」はバラバラのものに己がエネルギーを供与して一つのものにすること/「生きる」とは「己が生きるために他の命を費やす」ことであり、一方「命」とは、「命のために己が生を費やす」ことだ、性質的に「生きる」は「自」であり、「命」は自の外側にある「他」であるので、造語として「自生他命」と言いうる。
「あなたの命は何か?」、そのときあなたは、感覚的にも、自分の外側へ「己が命」を探すはずだ、己が生を費やした先が己が命であり、他の命を費やした結果が己が生となっている/生は吸収であり命は放出である、よって命を持たざる者は生ばかりを膨張させているはずだ、その重たい空気の中で、膨張した生はやがて重すぎて動けなくなってくる。

生は吸い込むもの、命は吹き込むもの。

生は計測可能な魄のものであり、命は計測不能な魂のものだ、吸い込んだぶんは同等量を吹き出さないと、やがて自分が膨れ上がるだろう、いくら計測可能だからといって「生」だけを取り扱っていたら、己はひたすら吸収消費するだけのマシンになり、やがて動けなくなってしまう、他に命を吹き込むことができず、ただ命を殺すために存在しているがごときユニットになってしまう。
命を吹き込め、己が生きることのみを用事とせず/力を尽くしているつもりの労役でさえ、気づけば己が生への吸収にしかなっていないことがよくある、命を吹き込むには決意と正しい学門が必要だ、計測不能なものが慎重な学門以外の何によって正しく取り扱われることがありえようか。

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