☆いい女☆で行こう!

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学門とは承認外へのアプローチのこと

ういえば、ワークショップ関連で、「助かった!」と大ウケだったのだが、多くの人は学門と承認の関係がテンヤワンヤになっているらしい。
人間には、「認識」という能力があり、物事について「わかった」と認識するとき、それは「承認した」という状態なのだが、現在の自分の理解範囲を超えるものについては、当然その対象は「承認外」にならざるをえない。
たとえば僕が、魂魄の皮膜、ノーからイエスへの移り変わりの刹那の谷間に、ナゾの爆発力があって、それが産霊(むすひ)だと言ったとする、そんなもんいきなり「わかりました」となる奴があるかよ、とんでもないド天才でないかぎりそれがいきなり「わかる」ということはない。
たとえば僕が、「空間にある『風』(指向性エコー)を捉えて、それを入れ替えると、距離感が狂いまーす」と言い、実際にやってみると、「あれ!?」と、やられた側は本当に距離感が狂うのが確認できる、そりゃやられたことの実感については「わかる」のだが、何がどうなっているのか、現象について「わかる」わけがない、説明されたら説明は「わかる」が、現象については「わからん」ままだ、どうもこの「わからん」=「承認外」であるということが、多くの人の概念にないらしい/何もかもを「わかりました」と言おうとして、テンヤワンヤになっているという実情がレポートされた。

承認外のそれが、「わかる」ようになるのは、何年も先か、何十年も先か、ともしたら一生そんなときは来ないかもしれず、一生来ないほうがパターンとしては大多数を占める、それが当たり前であって、それを五秒で「わかりました」というのはメチャクチャだ。
「わかりました」ということではなく、現時点では承認不能のことを、「教え」られたのだ、その教えられたことが「わかった!!」になるのは、いつのことになるやら、見当もつかない/そしてその承認外の、「教え」られたことに、我が身で接近していこうとすること、そのアプローチを「学門」という。
なんや爆発力があって、その産み出す爆発力を(   )という、という穴埋めがあって、その穴埋めに「むすひ!」と正答を埋めたとしても、そりゃ産霊がわかっているということじゃない、そりゃ教えられた文言を「記憶」しているだけだ、もちろん記憶もゼロになってしまうようではなおさら困るが、正確に記しておくことは大事だとして、本質はその「教え」られたことにどれだけ近づいてゆけるかだ、頭のいいヤツならそこのところをわかっていないと、ただの記憶力のいいアホになってしまう。
「瞳孔の不睨といって、にらみつけていたら見えなくなるんだ、遠山の目付といって、もっと遠くを見るんだ」と言ったとして、「わかりました」と応えたとする、その瞬間いきなりパンパカパーンと、「瞳孔の不睨!」の実物が出現するわけがあるかよ/「瞳孔の不睨と教わった、そして実物も見せてもらった、なんで自分の瞳孔はああならんのや〜?? どうしたらええんや、何がアカンのやろウォォォ〜」という、そこからの脳みその絞り込みが学門だ。

「犯人は○○です」「わかりました。逮捕してきます」

いやいやいや、んなアホな、そんなデタラメな刑事があるか、仮にカミサマに「犯人は○○です」と教わったとして、そいつが犯人だと断定するためには、確実で理に適った捜査と証拠集めをしないといけないだろう、そして数年越しに証拠が集まり、執念が実ってようやく、「わかりました、あなたが犯人ですね」となる/この刑事は数年間ずっと脳みそを絞り続け、証拠を集めて証拠品とにらめっこし続けてきたのだ、それでようやく一本の筋道を発見し、「!! わかりました」となる、これが学門と呼ばれるものだ。
仮にカミサマに「犯人は○○です」と教わったとして、まともな刑事なら、「そうなのか……まったくそうは思えないのに、ナゾだ」「何がどうなっているのだろう」「なんとかしてこれを解き明かさねば」と首をひねるはずだ/「教え」られるということは、そうして現時点では「ナゾでしかない」ことを先に教わるのであって、そのナゾを証して「わかった」にたどり着くまでを学門というのだ、なぜ多くの人が「文言記憶完了!」のときに「わかりました!」というのか僕には不思議でしょうがない。

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