☆いい女☆で行こう!

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大きな命と針小棒大
きな命が来ている。
世の中というか、時代に逆行しすぎだろ、と思う、僕自身がドン引きする感じだが、でもこれはずっと昔から知っていた「命」だ。
バラバラにすれば、生きていくのには有利だが、バラバラにすると、命はなくなってしまう。
大きな命が来るほどに、個々のものは小さくなってしまう、そりゃ比較的に当たり前だが/しかし吾我の小さいことをヒートアップさせ、それを己のこの世のすべてとしたがる者にとっては、「大きな命」はますます敵愾心の湧くものになる、「大きな命」と「針小棒大」は対立するのだ、僕は「大きな命」につなぐ派だ。

「大きな命」は、これまでなんども来ていたが、今度は「見る」のではなく「来い」と……つまりこの景色とか季節とかだ、空間というような簡素なものではなく、もっと何もかもに満ちたもの、これの中で動くという、まあワザとしては「ヒキョー」だよな、針小棒大のルールを無視しちゃうんだから。
まあとにかく、「大きな命」だ、やりたい放題にやらせていただきたい/「殺すマン」が多いけれど、この大きさになるとさすがにもう殺せないのでは? まあそれでも殺すマンを続ける人の果敢な挑戦は、少し見てみたくもある、この大きさのものはさすがに死なないような気もするのだが、どうなんだろうね。
僕は細かな命も大切にしてきたし、それだからこそ、その細かな命がいちいち殺されることにもなったのだが、結果的に、その殺すマンによって、僕は大きな命につながっていくことになるのかもしれない、まあそりゃしゃーないな、殺されるたび大きな命になっていかざるを得ず、いいかげん「これって殺せるのかね……」という大きさにたどり着いてしまうのもしょうがないことだ。
これはきっと、「殺すマン」の側が、逆に「殺される」という恐怖というか、錯覚を、はっきり持ってしまうやつではないだろうか、単純に言って「大きな命が来ていますよ」というと、「殺すマン」の人はビビるのかもしれない。

「命」が怖いから、「格」で覆うのか。

まあそういうものかもしれない、深い森に無数の木々の命があると思うと、単純に怖いのかもしれない、それで自我だけを人格で区切って「わたしさあ」ということをしているのかもしれない/何しろ、「命」はわれわれが人為的に作ったものではないから。
生物にも命があるのだが、それは「生きているから命がある」ということではなく、「生物にも命がある」ということであって、風や季節にも命があるのだ、風は風であることが命であって、生物は生きていることが命だ、サルトルが見た虚無の極限(嘔吐)が、実は命に満ちているということ、もし命がなければサルトルの見たとおりだろうねと僕も思う/さて針小棒大をやめたとき、われわれがそれそれに見るのは嘔吐だろうか命だろうか。
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