☆いい女☆で行こう!

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われわれの恋あいの義務と権利は終わった
やくパーティ行けよ、あと三十分しかない。
かつて、たとえば戦前や戦中に、「祖国愛」なんてものがあって、戦後にはそれが消え失せたように、「恋あい」というのもひとつの終わりを迎えた、つまり命脈が絶たれた、おおむね「恋あい」というのは、平成の前半にあった、われわれの「命」だった。
恋あいが命を失ったとしても、性欲や生殖は残るので、あまり気にする必要はない、われわれが戦前の祖国愛なんか気にしていないように、やがて恋あいというのも気にしなくなるだろう。
もちろん、今もまだ、ひっそりとした形で祖国愛を残している人がいるように、恋あいを残す人もいるだろうが、まあ、ごく限られた特殊な人々の命、ということになるだろう/われわれの命は「永遠の命」であり、永遠の命はすなわち愛だが、その愛というのはいろんな形を変遷していくようだ。

端的にいうと、女性が、「どうして? わたしはこの人の精液にまみれるのは、ちっともイヤではないわ?」と、引き受ける現象がなくなってしまった、何か根本的な拒絶感があるか、そうでなければ偏執化した興奮が起こるのだ/そのことはもう、嘆くほどのことではない。
今、女性にとって、AがBの精液にまみれる、そのことを性愛において引き受けるというのは、男性同士の同性愛や少年愛の映像で描かれるだろう、それはただの逃避的置き換えにすぎず、そのことをもって性愛の生き残りとはやはり言えないのだった。
今多くの女性にとって、「セックス」というのは、別にイヤではないだろうし、別にペニスもイヤではないだろうが、どちらかというと、それは「寝転がっていれば勝手に終わる」「それなりに気分は高まる」という行為であって、「それ以上はどうしたらいいかさっぱりわからない」というのが実感だと思う/「命脈が絶たれた」というのはそういう状態だ、やはり嘆くほどのことではない。
われわれの、恋あいの義務は終わり、同時に権利も果てしなく遠のいて、永遠の命は次の形に遷移したのだ、次の命はきっと、何かもっと宇宙的な形のものだ、それがどういう呼び名になるのかはわからない。

問題は、恋あいでさえむつかしかったのに、宇宙的な愛など、恋あいより遥かにむつかしいということだ。

こんなことが可能なのかね、と、それについては危惧を覚える、高校に進学できないから大学院に進学しよう、というような話に、聞こえなくもない、だが命脈は絶たれて命の形は遷移したのだ、しのごの言っていてもしょうがない、死んだ男も悪いし殺した女も悪かった。
僕はあいかわらずパーティに行ってきます、僕だって今日何があるのかは知らんから、誰とだってイーブンに生きているのだった。
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