☆いい女☆で行こう!

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星の瞳

い少女マンガで、有名なのといえば、「ときめきトゥナイト」や「星の瞳のシルエット」あたりが代表格だろうか、当時はよく「目の中に星が入っている」揶揄されたたぐいだ。
だが、今になってわかるけれども、人の瞳、特に少年少女の瞳には、星が入っているぐらいが正常なのであって、マンガ的描写としては正しかったのだ、瞳の中に星がないくせに少女ぶろうとする現代のほうがよっぽどタチが悪いと言える。
なぜ瞳の中に星が入っているかというと、その瞳は、この世界のきらめきを見ているからだ、目ヂカラなどという愚かしい発想ではなく、「瞳に映るもの」が反映されていたという正当な描かれ方だ、今になってわかることだが、あの描写は正しかった。
まともな瞬間、少女の瞳の中には、本当に星が入っていて当たり前というような、きらめきが生じるのだ、それは「興奮する」ということではない、江藤蘭世や沢渡香澄がボーカロイドの打ち込み音源を聴いて「アガってきたwww」と興奮しているという光景は想像がつかない。

瞳のきらめきを、偽造したり加工したりしようとするのは、さすがに人の道に外れるから、やめるべきだ、こういうことが意外にゴマカシが利かないものだ、「あなたは今どんな目をしていますか?」という、直撃の問いかけ、僕はこの問いかけに背を向けるようなヒマ人にはならないでおく。
本人の気負いや主張や、空気でどうゴマカシを利かせても、けっきょく本当のところは瞳が語っているものな/瞳の中には「星」が正しいのだ、なぜなら星は光っており、静かで、ほとんど永遠のようなものだからだ、見えているものが反映されるものだ。
その人の姿や、佇まい、そして瞳の光が、直接語りかけて、その語りかけに信頼が生じないならば、いくら空気を読み合って、いわゆる「絡みやすい」という関係にしたところで、意味がないものな、いや意味がないというのは言い過ぎだが、それは尊いものにはなりえなくて当たり前だ。
くたびれたジジイやババアから好感を獲得したところで、自分の命には何の足しにもならないので、それよりは久住くんや香澄ちゃんに対してまともな友人であれたほうがはるかにマシで重要だ/いまどきそんな古い少女マンガに光を探す奴はいないだろうが、もし真壁俊や江藤蘭世をバカにする人がいたら、僕は表面上はそのことに追従し、内面では明確にその人のことを裏切るだろう、オタクというのもひどいものだがリア充というのもひどいものだ。

菊正宗清四郎に勝てるときまで、僕の傲れる日はこない。

マンガってそういうものじゃないか、いつだってわれわれに勝てないものを提示してくれる、さすがに僕はラオウとタイマンしたり、スーパーサイヤ人でもないのにフリーザの最終形態とやりあえるとは思えないが、何かちょっとはああいう奴らと、はりあえる何者かでありたい、初めの一撃だけでもいいので、「おっ」と驚かせるような奴でありたいな。
少女マンガにリアリティはない、のかもしれないが、それでいうと、現代人の「恋あい」なんて、もっとリアリティがないじゃないか/まあ少女マンガにリアリティがないというのはウソだろうね、僕はこれまでの経験上、本当に瞳の中に星がまたたいている女の子を見たことがある、僕はそうした星の瞳を認め、その他の一切をけっきょく認めていない奴でありたい。

できるオンナだね | comments(0) |
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