☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 大きさ | TOP | 真相はとんでもないところ >>
光っぷりと毒っぷり

正面から向き合って、生きてみたい人はこのことをどうぞ。
「♪咲いた〜咲いた〜 チューリップの花が〜」と、歌ってみればいい、人の真相はそんなところにも現れる。
体内に毒を生産している人は、そんな歌声にも毒が乗っかる、そして光につながっている人は、そんな歌声にも光が乗っかる。
歌がうまいとかヘタとかではなく、<<毒か光か>>が出るのだ、声に乗っかるのだ、これに直面して生きるのは本当の生き方だが、なかなか堪えがたく正視しがたいことへの生き方でもある/自分が体内に「毒」を生産し、それをぶちまける者だというようなことは、なかなかわれわれの希望とは異なり、向き合いがたいものだ。

やさしい気持ちと、うつくしい思いと、ついうれしくなるような笑顔で、「♪咲いた〜咲いた〜」と。
そんなことをしても、出てくる歌声は「毒」だ、ごまかしは利かない、ごまかしが利くのは同様にごまかしを求めている人だけだ/人は誰しもごまかしに転落しそうな中を生きており、これを迷い惑わすことがあるので、そのことを「迷惑」という。
冷静に考えることだ、チューリップの花が咲くのは「当たり前」のことではないか? それなのにやたら力んだり笑ったり、「笑顔」みたいなものが出現しているのは、人の事情なのだ、体内にヘンな毒が駆け巡っているから、それをごまかすのに笑うだけだ/近年はそうした「笑顔」を救済と誤解する勢力が大きくあるが、その種の「笑顔」は救済でも何でもなく「迷い惑わしてくれる力が強力でごまかしに浸りやすい」というだけだ。
真正面から向き合って生きるということは、いかに自分の全身が、また現状の「わたし」が、毒ばかり生産する者であって、それをまき散らすことしかできない者であるかということを、引き受けて生きていくということだ、それもやけくそにならず、引き受けた理知の学門として/そして同時に、これまでは見ていなかった他人のこと、特に「この人は光ばかりまき散らしているではないか」という希少な人のことを、改めて認め、何なら心中に少し奉じて生きていくということだ。

あなたの体内に、毒の止め方を教え、光の触れ方を教えた人がもしいたら、その人はあなたの生涯の先生だ。

「♪咲いた〜咲いた〜」と歌ったとして、そのときにでも後日にでも、人々が「もう一回歌ってほしい」と望むようなら、つまりアンコールが求められるなら、それは光だ、演出に迷い惑わされたものではなく、演出なしに「もういっぺん!」とお願いしたくなるようなとき、そこには光がある/歌に限ったことではなく、これは光の性質だ。
真正面から向き合って生きてみたい人は、このことをどうぞ、われわれがそのような「光」に及ぶ者になるには、膨大な学門と、連日のような捨て身と、相反して怜悧に徹した理知の継続が必要になる、「♪咲いた〜咲いた〜」と、光が生じるということは、まったく身近でありながら、まったくとてつもないことなのだ。

正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |