☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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真相はとんでもないところ

インシュタインが、「運動っつーのは、空間じゃなくて時空のもんでしょ」「運動って、時間軸方向にも割かれてんじゃん」と言い出したあたりで、われわれの常識はブッ壊れてしまう、「運動場を走るのはわかるが、時間軸方向に走るってなんだよ……おっかねえ」と。
そこからさらに、量子もつれ(エンタングルメント)の話が入ってくると、われわれの常識なんか消え去ってしまう、「だから電子Aのスピンと電子Bのスピンは距離とか関係なく相関してるんだって」「じゃあ何か、情報が一万km先にでもテレポーテーションするとでも言うのか」「そうだよ」「えっ?」と。
これはオカルトではなくて、ごくフツーに大学の教養で習う範囲のことだし、実際にそのように「観測」されてしまっている以上、四の五の言っていてもしょうがない、常識的には二重スリット実験の時点で「ウソつけ」と言いたくなるのだけれども、今実際に量子テレポーテーションも繰り返し実験・観測されているし、量子コンピューターも実現に向けて研究されているのだから、もう不思議がっていてもしょうがないのだ。
そろそろ二十四時間テレビの季節だと思うが、いっそのこと二十四時間、われわれの常識とは違う学門のレポートばかりを、えんえんオンエアしてもらえないものだろうか、もしそんなことしたら、視聴率はサイテーのサイテーを極めるだろうけれども……

あなたはどうしたらいいか、われわれはどうしたらいいか/より実際的には、あなたは僕の前で「どうしたら」いいのだろう?
どうしたらいいなど、誰にもわかることではないが、学門としての大前提は、「真相はとんでもないところ」だ、そのとんでもないところを否定する常識の思考がすべてを支配するなら、もう一切の学門なんか個人として焚書してしまえばいい。
学門を焚書するというと、おっかない感じがするが、むしろ多くの人はごく早いうちにその焚書を決定するものだ、各人の部屋の本棚を見たらわかるだろう/そしてなぜかはわからないが、学門を焚書した人には特定の顔つきや性向が付与されるようだ、なぜそんなことになるのか、その真相もやはり「とんでもないところ」にあるのだろう。
なぜだかわからないが、学門を焚書した常識の人は、<<常に強い確信を持っていながら、常に強い不安の顔をしている>>、そして必ず、<<「こうなりたかった」という望みを断たれた姿で老人になる>>、なぜそうなるのかはわからないし、そうなってはいけないというわけでもない。

老人は、量子論がわからないのだが、その「わからない」というとき、自分を「正しい」と感じている。

老人に限ったことではなく、老いることが決定された者は、若いうちにもそうなるのだ、美術、芸術、技術、学門、愛、世界、永遠、それらが「わからない」というとき、なぜか「わからない自分こそが正しい」と感じる――むしろ確信する――ように出来ている。
あなたはどうしたらいいか? あなたは僕の前で、僕はあなたの前で、「どうしたら」いいか? あなたが常識の人なら、どうしたらいいかについては、即座に確信を見つけるだろう、僕にはわからない、僕はいつも「真相はとんでもないところにある」という気ばかりがヒシヒシしている。

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