☆いい女☆で行こう!

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「個人的な気合い」と「空間的な気合い」

は誰でも、漠然と「気合い」を入れる。
「個人的な気合い」を入れると、これは己に「空気」が入ることになり、全身は「重く」なる/それ以上の説明をすると激ムズになるので平易に説明している。
全身が「重く」なるのは、それ自体は悪くなくて、「まんべんなく」重くなるならいいだろう、これで人はヘナヘナではなくなるし、安定するし、一種の健康法にもなる、イライラすることもなくなる。
だが、「まんべんなく」ということが、案外むつかしいし、誰も気合いを入れるときにそんな考え方はしないので、どうなるかというと、身体は「偏って」重くなる、それでバランスを崩し、疲れたり、つんのめったりする、あえて前のめりになるために邪道に使う人もあるだろう、「個人的な気合い」というのはそういう性質のものだ。

個人的な気合いは、誰でも入れるものだが、「空間的な気合い」ということになると、ほとんどの人は気づかないし、なんのこっちゃと、その発想すらそもそも持たない。
感覚的なことなので、説明のしようがないが、個人的な気合いが「自身」にのみ集中するのに比較して、空間的な気合いというのはそこにある世界や空間そのものの、気合いに準じるということだ、とにかく「気合い」といっても方向が違う、自分の気合いではなく空間の気合いだ。
もちろんこれは、いつも言っているようなことを、言い方を変えて説明しているだけだ、なぜこんな言い方をしているかというと、われわれはどうしても「個人的な気合い」ばかりに転落しがちだからだ、個人的な気合いは必要であり有益なものだが、「融通」という面ではまったく利かない、あんまり面白みのないものだ。
気合いというのは、「自身」に集めるほど、密になり、空気になり、重くなるのだ、これをなるべく広い「空間」に拡散すると、疎になり、真空になり、軽くなる/単純に「気合い」なるものを体積Vで割り算すると思えばいい、体積がデカければ密度はゼロに近づいていく……人は空気でパンパンになると重くて動かなく(=動けなく)なり、真空でパンパンになると軽くてスイスイ動くようになるのだ、スイスイ動くほうが実用性も面白みも大だ。

エアコンの音も聞こえていないのでは、人の話なんか聞こえるわけがない。

「理解」やら「納得」やら言って、己を空気でパンパンにすることは、まあ気合い一つで出来なくはない、が、そうしてパンパンにしたものはもう動けない、エアコンの音ひとつを聞くのでさえ、われわれはパンパンに詰まった理解やら納得やらを抜かねばならないのだ(やってみりゃわかる、「理解」やら「納得」のままでは「聞こえない」はずだ)。
エアコンの音だって、よく聞いてみれば、吹き出す風の音と、モーター音とが鳴っているはずだ、それらが一つになって「エアコンの音」だ……その音を慎重に聞き"ながら"、椅子から立ち上がってみる、おそろしく慎重になるが……すると全身がまんべんなく軽く動こうとするのがわかるだろう、そして少しでも「よっ」と己に空気を入れて立つと、その途端エアコンの音は聞こえなくなる、聞こえていたものが途切れる、それが「個人的な気合い」だ、空間的な気合いから切り離されて、重く動かなくなるのだ。

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