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例えば二十年前のマジックと比較して
は二十年前、ちょっと手品師だった、いちおうそういうアルバイトも少ししていた。
あれから二十年経って、手品業界の技術は、大きく進歩した、今や若い人でも超絶技巧を持っている人がたくさんいる。
が、実はちょっと事情があって、二十年前と今とでは、使われている技術体系が違うのだ、このことは今の若い手品師の人は知らないと思う(そりゃそーだ)。
たとえば、現在のカードマジックの基本技術というと代表的にC・Pだと思うが(普通の人は知らなくていいのでイニシャルにした)、二十年前、当該の技術は一切使わないのが当たり前だったのだ、僕自身もその技術は使わなかった、使えなくはなかったのだが、ある理由によって使わなかったのだ。

どういう理由かというと、単純に「芸風」ということにもなるが、当時のマジックは、現代のマジックほど、たとえば「カードさばき」をすばやく見せつけるものではなかったのだ、もっと全体がゆったりしていた。
そして、演目の全体がゆったりしているので、そのペースの中でC・P等は、どうしても使えなかったのだ/一部の技術は、あるていどのリズムとすばやさを前提にしており、そのリズムの中に溶け込むことで成立するようになっている、つまりそれらは現代のウォークアラウンドのスタイルにはピタッと嵌まる技術なのだが、二十年前のクロースアップマジックというと、まるで占い師のようにどっしり客の前に居座ってやるものだったので、リズミカル、というものではなかった。
だから、仮に僕が現代の若い人に、マジックを教えたとしても、僕の教えるやり方は、現代でスタンダードに教えられるテクニック群とは融合しない、それは日舞とジャズダンスを同じ「踊り」と言っているようなもので、それらの技術を同一の舞台で同時に混在させることはできないのだ。
それで、何が言いたいかというと、技術が進化したという見えやすいことの裏側で、実は内容そのものの「変質」があるということ、僕は二十年前の手品を愛好していたが、現代の手品を愛好はしない、現代の技術は「スゲー」と思うが、そこにある手品の体験は僕にとって「感動的」ではない。

技術が進化し、内容が変質して、いつのまにか別ジャンルになる。

現代のポップス音楽のシーンは、二十年前のそれと同じだろうか? あるいは二十年前のオリンピックと現代のオリンピック、二十年前の恋あいと現代の恋愛、二十年前の大学生と現代の大学生、二十年前の「みんなで写真撮ろうよ」と現代のそれ、どれもこれも技術的には向上しているがいつのまにか内容が変質し、過去のものとは別ジャンルになっていった。
あなたは学ばねばならないし、掴める糸口がないときは、教わらねばならない、「何が違うのか」を、「違うもの」に基づいて教わらねばならない/あなたが「あれ」を求めていたのに、努力した「それ」は別ジャンルということが往々にしてある、「それ」は何が「違う」のかを、教わらねばならないのだ。
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