☆いい女☆で行こう!

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例えば二十年前のマジックと比較して3

いうわけで、もし「僕の」ということに限定し、また手品ということに限定してお話しすると、「認知」ということがむつかしい。
手品的なトリックによって、観客の認知を錯誤させることは、まあカンタンなのだ、そういう「トリック」があるのだから。
だが、その手品を演じている当人の「認知」、これを操作することがむつかしい、通常で考えれば、手品師はトリックの当人なのだから、認知としては「トリックをしている」という認知になるはずだ、だがこれではいつまで経っても僕の愛好した「手品」にはならない/トリックをしているのならそこには何の魔法もない。
そして、このこと自体は、何も手品に限ったことではないのだ、<<本人の認知がどのようであるか>>、少なくとも今ここで、僕には「文章を書いている」という認知はない、僕の信じているものはまったくそんなところにはないからだ。

あなたが見て信じていることと、まったく同じことを僕は信じている。
あなたが何かを「思って」、それを独自に信じていらっしゃる場合は、そのことについては(つまりあなたの恣意的なものについては)知ったこっちゃねーけれども、そうではなくあなたが「見て」信じていること……それと僕の信じることがズレているのなら、僕は何もあなたのこころに寄り添っていないことになるだろう、それならこんなところにあれこれ書き話す値打ちはまったくない、読ませただけ時間の浪費をさせて迷惑だ。
じゃあ、あなたが何を「見て」、どのように「信じて」いるかということだが、それだって、そんなこといちいちあなたは考えていやしないだろう、あなたが何を「見て」どのように「信じて」いるかということは、勝手に起こることであって、あなたの恣意的なものではない、あなたの恣意的なものについては僕は知らない、そんな知りようがないものを知れるわけがない。
何を「見て」どのように「信じる」ということは、恣意的なものではないのだから、それらはひっくるめて、「われわれの」と言いうる、われわれの「見て」いるもの、その結果「信じて」いるもの、それがどのようであるかは、実はわれわれが決めてはいない、どんな手品を見ても恣意的に「驚く」ことはできないじゃないか?/われわれが「ほえ〜」と感じたとき、あなたも「ほえ〜」と感じているし、僕も「ほえ〜」と感じているのだ、何かを恣意的に思い詰めている行方不明の人を除いては。

僕は文章なんか書いたことはないし、歌ったり踊ったりしたこともない、手品なんかしたこともない、誰とも一緒に「ほえ〜」としているだけだ。

なるべく、ナイスな「ほえ〜っ!!??」がいい、そりゃわれわれの「ほえ〜」なのだから、誰だってナイスなそれがいいに決まっている、われわれはそうしたカタマリなのだから、それ以外のことは必要ない、ステキな男がステキな女をステキに愛したら「ほえ〜」となる、それ以上のことは特にない。
われわれの「ほえ〜」が上昇し、そこに大いなる感動が生じるのなら、まさに「ほえ〜」であってサイコーのことだが、それ以外のことは特にないし、それ以外のことは必要もない、だからそれ以外のことをしている人のことは僕にはよくわからない、僕は実態としては年がら年中、ずっと歌って踊っているようなものだが、僕はいつも歌うたび「ほえ〜、不思議だなあ」と感じているのであって、これがマジなのだからしょうがない/そういうジャンルを僕はやっているというだけで、別ジャンルのほうは、どのように何がやられているのか、僕にはよくわからないのだった。

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