☆いい女☆で行こう!

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WS報告010(3)/まともで文化的

19時に始まったものが、朝5時まで続き、なぜか誰も休憩という発想にはならず、土曜日が明けて日曜日、朝食のつもりが昼食までデニーズに居座って……といつものとおり/「このデニーズの時間が楽しみでしょうがないんですよ〜」「あ、そうなの? そりゃ初めて知ったわ」。
僕はまともで、文化的な中を生きたい、奇怪なものや不穏なもの、気色の悪いものや得体の知れないものは、ごめんこうむるのだ、今回は「ナイスボス法」というユニークなメソッドが産み出され、これによって「いかにまともで文化的なことがちゃんとやれていないか」ということが浮き彫りになった/「引き受けていないというか、引き受ける気もないんですよ〜これじゃクズじゃないですかあああ〜うああ〜」。
僕は朝5時の締めくくりに、なるべく忘れずに話すようにしている、「ここは東京、世田谷区の世田谷公園だ、日本の代表的な住宅地だよ、それでも夕方から朝の5時までこんなバカなことをやっているのはわれわれだけだろう? 何十回やってもわれわれだけだよ、他のグループを見かけたことはない」「おれみたいなオッサンがこんなことをしていて、他の若い人々は何をやっているのか、もっとバカげたグループが、この公園に五つも六つもあっておかしくないんだ、本来そのほうが"まとも"だとおれは信じている」。
「こうして二夜連続、もともとは縁もゆかりもなかった連中が集まって、野ざらしで朝まで過ごしたわけだけれど、ヘタするとわれわれって、そのていどの経験さえ一生持たないことがあるじゃないか、そんなスッカラカンな日々を"まとも"だと、だまされてはいけないよ」「こうして朝5時になると、昨夜の19時のことなんか、はるか遠い昔のような気がするだろ、どこの世界の土曜日もこのようであっていい、何かをインスタにアップロードするヒマもなかっただろ? インスタが悪いわけではまったくなくて……ただおれはこのしょーもない活力が継続されてほしいと思っている、まともで文化的、ただそうあればいいのであって、本当はおれがこんなことをやらなくていいんだ」。

われわれの身体が、われわれの悪習によって、どれだけバラバラか/「立ったまま、右半身……まず右肘と右膝を同時に動かしてみろ、トントントンと、"同時に"だぞ、つながったように」「……えっ、これって意外にむつかしい」「できない」「な? 右肘と左肘は同時に動かせるだろ、そんで、右膝と左膝も同時に動かせるんだよ、でも右肘と右膝は同時に動かないだろ、それはわれわれが、"上半身と下半身"という、アホな認識で自分の身体をバラバラにしたからだ、本当にあるのは右半身と左半身なんだよ、さあとっとと修正しろ」。
「頭ではわかるし、九折さんがやっているのを見ると、スゲーかんたんそうに見えて、できる気がするのに、自分でやってみると……」「はいはい、いつも通りね笑、はーいその怖い顔やめて、瞳孔がにらんじゃだめよ、瞳孔がにらむとそれだけで力が入って全身バラバラになるよ」。
「動くなら陽気にしてね、陽気でないと動けないから。動かないなら陰気でいい、動かないときは気魄を全身にまんべんなくね……これは陰陽の性質だから、学門の話であって、この学門とケンカしても何もいいことないよ」「先生〜陽気にするのと、テンションを上げるということの、区別がつきません、ああ〜キャラが昂ぶってしまううう〜」「笑、まあそりゃ、そんなカンタンにはいかねえ、体中にクセが染みついているからな、学門を与党にしないかぎりクセは抜けませんよ〜実感が与党の人は脱けられませんよ〜」。
まあそんな感じだが、成果はメキメキ出ているのだ、ガイル青年は何か若返ったし、ニンジャ青年やたこ焼き姉さんは身体のつながりが出てきて均整が取れてきた、ああなるともう"思い詰める"という苦しみには無縁になってくる、ヴェジ青年はふつふつと本来の活力とユーモアを取り戻しているようだし、合気道姉さんもこわばりが抜けてきたから、合気道の本分に再燃するかもしれない、その他、まあ、熱心にやっている人はすべて顕著な成果を得ている/すべての成長は、にじり寄るがごとくだが、実は入口が奥義的なモンで出来ているので、にじり寄れただけでも巨大な変化なのだ、「む、むつかしい〜」とへたりこんだ一分間が、十年後の自分をまったく別のところへ連れて行ってくれる。

"まともで文化的"に生きるためには、えげつないものと出会っている必要がある。

明らかにレベルの違う動き、レベルの違う知性、レベルの違う感覚、レベルの違う速さ、レベルの違う技術、レベルの違う体験、レベルの違う発想、レベルの違うエネルギー、レベルの違う愛、レベルの違うやわらかさ、レベルの違う学門、レベルの違う声、レベルの違う覚悟、それらを目の前で見て体験して、「えげつねえ〜」「まじパないっすわ」「こんなことが本当に起こるんだ」「すげえええ〜」となること、このことが人をまともで文化的なほうへ導いてくれる。
そりゃ、いつもスマホをポチポチして、「ふーん」とか「ははは」とか、あるいは「何か楽しいことないかな〜」とか、それだけで"まともで文化的"にはならないだろうよ、漠然とした「わたし」の中に閉じ込められるだけだ/「えげつないもの」に出会っていないということは、まだ「世界」に出会っていないということだから、必然的に「わたし」の中に閉じ込められることになってしまう、そして「わたし」の思っていたことと、目前で出会った「世界」とが大きく違ったとき、それを受け止めそこねると、しばらくパン祭りが起こるのだった笑、まあそのへんは明るく気長にやるしかない。

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