☆いい女☆で行こう!

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「信じる人」を得る方法

いうわけで、さっさとやりましょうか、という気がしてくる、まあこれはいつもの僕の精神だな。
「光」がないと、「ガマン」とその中毒しかなくなるわけだが、それならさっさと「光」を得たらいいだけであって、何もお涙をウッウッと流している必要はない。
そして、「光」というのは、つまり「信じる人」を得るということだ、生きている人でもいいし故人でもかまわない/ただし、両親や身内はやめておいたほうがいい(血縁において「血」が作用するのでよくない、血縁はカルマを継承し合っている)。
そして、重要なことだが、「信じる人」を得るのには、コツがあるのだ、それはどういうことかというと、<<「信じる」というのは学門であって自分の意志ではない>>ということだ、そのことは以下の手続きで判明してくる。

コツは、こういうことだ、「信じる人」を設定する(大げさにいうと「奉る」)と同時に、自分を「迷わす人」、自分が「迷わされる人」も設定するということだ、この後者のことが見落とされている。
自分には、信じる人がいて、そのほかには、信じる気になれないクソどもがいる……ということではない、否定的に捉えなくていい、自分には「信じる人」がいて、また「自分を迷わす人」もいるということ/否定的に捉えなくていいのは、<<自分自身もその「自分を迷わす人」の一人だからだ>>、このことは死ぬほど理解しておく必要がある。
ここにおいて、自分の「信じる人」というのは、キモチの問題ではなく、ただの分類の問題だということになる、信じる人というのは、単に「迷わす人」の補集合にすぎない/この手続きによって、<<感情的にではなく、合理的に「信じる」ということを生成できる>>、<<疑うという現象を排除できる>>のだ、なぜなら「疑うぐらいなら、『迷わす人』に分類すりゃいーだろ」で済むからだ、これであくまで分類上「疑わない」ということが成立させられ、そこで初めて、その人の「話を聞く」ということが成り立つ、逆にいうとそれまでは自分が誰かの話を聞くということは成立しない。
あとは単純に、自分が誰を「信じる人」に奉るかの問題であって、そこのセンスがまずければ、まずい方向へいくのだろう、だがそれは自分で選んだものなのだから本懐のはずだ、芥川龍之介を「信じる人」に設定したとき、トルストイは「迷わす人」に設定されるだろう/重要なことは<<自分自身も「迷わす人」に設定する>>ということだ、こうすることで初めて、<<静かに人の話を聞ける自分>>というものが成立する、この手続きがないうち、自分というのは内心で常に何かを言い続け、決して黙ってはくれない。

「信じる人」「迷わす人」、どちらも疑わなくていい。

どちらも疑わなくていい、なぜなら、どちらも疑いはないからだ、「迷わす人」は「迷わす人」なのだから、疑う必要はない、詐欺師と定義されている人を「詐欺ではないか」と疑う必要はない、もう定義されているのだ、信じる人でないなら迷わす人なのであって、迷わす人は迷わせてくるだろう、そこに疑義を抱く必要はまったくない、「信じる人がいるので」で正当に一蹴できる。
このように、「信じる」ということは、<<何ら感情的なことではない>>のだ、<<あなたはカーナビの指示を拝み倒しているだろうか?>> そんな感情を入れなくてもあなたはカーナビの指示を信じてハンドルを切るはずだ、それは自分が道に詳しくなく自分では「迷う」ということを自覚しているからだろう、ただそれだけのことであって、このことを整理したら光はさっさと手に入る、こんなところにまごつく理由は一ミリもない。

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