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「信じる人」を得る方法2

「信じる」というと、まるで「アアッ、神よ!」みたいな感じに、感情的に拝み倒すものだと思われている、だがこれはすでに気配からしてアホの感じがする。
そうではなく、「信じる」というのは、「信じる人」という分類を認めるということであり、それは「迷わす人」という分類を認めることに支えられている、あなたは「信じる人」を設定すればよいだけであって、その設定のために、「迷わす人」も設定すればよいだけだ/カーナビが「左折です」と言うところに、それが「迷わす人」だと設定されるのであれば、あなたは右折すればいい、そこに感情的な「信仰風情」は要らない。
それで、カーナビといっても、完璧というわけにはいかないものだ、たまにはエラーやバグも起こす、そのとき「信じていたのに裏切られた、迷わされた」といって、カーナビを大破壊していちいち買い換えていたらキリがないだろう/ここでこのことを知らねばならない、<<「信じる」ということは絶対性を担保にして成り立つものではない>>ということ、信じるといっても「誰しも完璧とはいかないでしょう」という前提があるのは当たり前だ。
「信じる」といって、誰かを絶対化することが「信じる」ということなのだと誤解している人は少なくない、それは仏教徒がブッダを崇めるような場合の信仰であって、その他の一切に向けうるものではない/「弘法にも筆の誤り」という言葉があるが、弘法大師が筆を誤ったからといって、そのたびにブン殴って別の師匠を探していたらキリがない、おおむね妄想気質の人が、この「人を絶対化して信じる」ということをやる傾向にある、この人は己の生成した絶対妄想を信じているというだけであって、誰か人を信じているということではない。

妄想気質に合わせて、われわれには「信じたくなる」という現象があることを、よく知らねばならない/端的に言うと、きれいに着飾った年少の女の子がシクシク泣いていると、そこにきれいなこころがあるのだと「信じたくなる」ものだ、だが本当にそこに自分の「信じる人」がいるのか、それとも「迷わす人」がいるのかは、わかったものではない、このことは合理的に捉えねばならない、合理的に捉えるために、われわれは「信じたくなる」という現象に十分な警戒心を持っていなければならない。
ここで警戒心として有効なのは、「信じたくなる」という現象は、あくまで感情的なものだということだ、たとえば「母親は我が子を愛するものだ」というようなことは、感情的に信じたくなるものだし、さわやかな笑顔のセールスマンがやってきたら、感情的には「悪い人ではない」と信じたくなるものだ/だがその感情は、学門としての判断とは異なるので、「判断を誤る」ということはあったとしても、「学門を曲げる」ということはあってはならない。
単に、われわれは己が感情的に"ほだされる"と、そのほだされるという感情がカルマ的に快感であるので、学門を曲げて判断をバイアスしてしまうということだ/<<感情的にグッとくることと、「光が差す」ということを取り違えてはならない>>、<<「光」はわざとらしい感情を伴わないものだ>>。
あなたは、自分の「信じる人」と、自分を「迷わす人」を分類せねばならないが、「迷わす人」はまさにあなたを迷わすということを忘れてはならない、あなたが信じたくなるかどうかの前に、自分が「迷わされているのではないか」という発想を持つことだ、その発想がありながら、なおも判断を誤った場合は、それはしょうがないし、そのことは経験にはなっても悪習にはならない。

あなたの「信じる人」は、あなたの感情を鎮める人であり、あなたを「迷わす人」は、あなたの感情を昂ぶらせる人だ。

誰でも知っているとおり、夜になると、繁華街で騒ぎが起こり、ときには殴り合いのケンカ等が起こるものだ、あまり昼の日中から騒ぎや殴り合いは起こらないものだ、つまり人は光を失うと感情を昂ぶらせるものであって、光が照ってくるほど感情を落ち着かせるものだ、女の子がシクシク泣いていて、それが傍目にもグッとくるのは、たいてい夕暮れか夜だからであって、正午の日向にシクシク泣いていたら感情はそこまで昂ぶらない/ここでは「光」の話をしている、ここではシクシク泣いている女の子より、まっすぐな眼差しで本を読んでいる少女のほうを信じるべきだ――どちらが「迷わす人」かをよく見て。
「光」の中、人は感情を落ち着かせるものだし、「光」の中であるから、物事はよく見えるようになるものだ、ところが「信じる」ということを誤って捉えようとする人は、自分に物事がよく見えないように、つまり「盲目的」に信じようとする、これは恣意的に学門を曲げているのであって、これをやるようではふりだしに戻るしかない、初めのところからやりなおしだ/「信じる」ということは意志の問題ではなく、感情の問題でもなく、ただの分類の問題だ、だからそのとおり「分類」しろ。

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