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WS報告011(1)/「誠心誠意」のピンチ
眠時間が欲しいので駆け足で書くことになる、ご容赦願いたい。
今回、よく話す――「言葉」で――という、よい機会と状況を得たのだが、意外にみんな、このいかれぽんちなワークショップを、こころの底かワクワク楽しみにしているらしい、「毎回スゲー発見があって」「次々に新しいことを知って」と。
そういうことなら、もうちょっと普段からそのようにアピールするように、と思うが、まあしゃーない、とにかくみんな実は超楽しいようなので何よりだった。
パン祭りがあったり愛があったり、通りすがりの人がものすごく頭を下げていったり、もうそういうのにも慣れてきたが、とにかくとてもいいことをしている可能性があるので、このままコソコソといいところまで行ってやろうと思うのだった。

一方で、ノンフィクションの話、具体的に「こころの象(かたち)」として、「誠心誠意」とでも名付けるべきワークをやってみたのだが、とたんにボロが出た、まあ実力というのはそーいうもんである、「こころが真っ直ぐじゃない」「大人なのに頭も下げられんてなんやこれ〜うおお〜」と。
「全身全霊」というのは、フィクションへの取り組みだが、「誠心誠意」というのは、ノンフィクションの取り組みだ、胴体に流れているものの象(かたち)がそのまま「こころ」ということになるのだが、精密にやってみると、多くの人が身体をねじったり腰を引いたりして、「まっすぐ頭を下げないよう、躱している」ということがわかった、まあそれはそんなもんだな/その点、こころがまっすぐな人は、それだけで「こころまっすぐ先生」だ、それだけでそーとースバラシイ。
頭を下げる、といって、キモチが強い人、またキモチが善意の人は、自分をしょぼんと貶めて身体が屈する形になるのだが、これは「キモチの表出」であって「こころが届く」という現象とはまったく異なる、これができないのは当人も認めるところの「ピンチ」だ/ウーンこのことは、できないならできないで、どう「できない状態」なのかを、バッチリ知る必要がある、正直もうヘコんでいる時間が惜しい、ヘコむのは七分間ぐらいでいいだろう。
「おれは以前、日本料理の、ハイレベルな店に行ったんだけどね、そこで料理長とお弟子さん一同、揃って頭を下げられたことがあるよ、そのときの低頭のクオリティは空前絶後のものだった、こんなすさまじい低頭があるのかって驚いたね、『頭を下げる』と一言でいったって、そのクオリティにはそれぞれ雲泥の差があるよ、カンタンにできるなんて思わないほうがいい、本当の低頭なんて超一流の人間にしかできないもんだ、それで正当だしそれでいいじゃないか」

「頭を下げるとき、自分の中で『我慢』が騒いでいるのわかる?」

「これが我慢の実物だよ、本人に自覚があろうがなかろうが、こうしていつも互いに世話になっている仲間に対しても、頭を下げるとなったら『気に入らん』ということがあるんだ、気に入らんということに理由なんかないんだよ、ただ我慢という現象が実際にある、これは感情ではなく学門として捉えられないといけない、いわゆる善人には善意とキモチは強くあるのだけれど、『誠心誠意』はなくて、その背後に我慢があるんだよ」「あああ〜こころあたりある〜ガマンで生きてきましたあああ〜」
「こんなもん、いちいちヘコんでいるヒマはない、というかこんなもん、ちょっとでも深くつっこんでやると、誰だってそういうものなんだよ、よもや日常でこんなところまでつっこんでやらないから、ごまかされているだけだ、それでいつかの大事なシーンで、どえらいボロが出てしまうんだよ、じゃあこんなもんわれわれが長袖を着るころには解決してしまえばいいじゃねーか」
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