☆いい女☆で行こう!

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WS報告011(5)/やっていないのに得られること
「先生のお力なのか、ワークショップに行くと、なぁんか愛に包まれるんですよね(←不思議がっている)」(ガイル青年)、「自分が大きな仕組みの中にいるということを知って、吾我が勝手に小さくなって、それがもう何かものすごいよろこびなんですよ〜(←このあといくらでも言いたい様子)」(たこやき姉さん)、「そうなんすよ、何か若返ったんすよ(←なんか楽しそう)」(ニンジャ青年)、という感じ/つまり、具体的なワークと、一見まったく関係ないようなところに効果が現れてくる。
「今回は、最初から最後まで、デザインされていたというか、この結論に行き着くためにこの一晩がすべて計算されていたというか……」「そりゃお前らが、『全体』を通して見られるようになったというだけで、元からそうだよ、第一回から今回に至るまでずーっと、すべてのことは綿密な計算の上だ、お前らがそういうことをまーったくわからんかっただけだ」「す、すいません笑」。
そういえば、金曜日のワークで、二年前にやっていた「跳ね釣り」をやってみた、すると僕のそれは以前とはまったく異なる次元にレベルアップしていたし、二年前は「わけがわからん」という状態だった人が、「言われたとおりにやってみる」ということを獲得していて、今になって少し指導を受けてみたら、それなりにスッとできるようになった、それを通して「改めて、積み重ねるということの意味を発見しなおしました」と、ニンジャ青年あたりがまたよろこんでいた。
僕にとっては当たり前のことでも、わざわざ言っておかなければ、他の人はまったくわかっていないということがよくある、それであえてわざとらしく言うが、ワークAを積み重ねたとして、得られる効果はAだけではない、アルファベットのAからZまでを獲得するということは、英語でスペリングされるすべての言葉がわかるようになるということだ、アルファベットだけを覚えるだけじゃ値打ちなんかあるわけないだろ? そんなこともいちいち言っていくべきなんだろうな/「なぜかは知りませんけれど、確実に、お通じはめっちゃよくなりました」というような報告もある。

当ワークショップで副次的に得られる、つまり「やっていないのに得られること」は、代表的に「若返る」「毎朝起きるのが異様に楽しくなった」「景色が輝いて見えるようになった」「イライラしなくなった」「大きな仕組みが見えるようになってきた」「食事がめっちゃおいしくなりました」「自分だけでなく、人々がいる、ということがわかるようになった」「自分で出来ないにしても、愛とかフィクションとかがはっきりわかるようになった」「生きていて、自分の『やること』がはっきり『ある』という状態になった」等だ、そしてその副次的なものが得られない人は、手前で通称「パン祭り」にうずくまることになる、そりゃしゃーない。
身をもって、「学門」をしているわけだからね、この学門に入れないと、代わりに獄門(パン祭り)に下されるというナイスな冗談つきだが、まあそれはそういうものだ、身をもって学門を修めていけば、そりゃあ世界は広がるし、カッカしなくなるし、何より若返ることになる、学門を捨てた人間の老け込む勢いというのはすさまじいものだ、しかもほとんどの場合戻ってはこられなくなる。
啓蒙、「蒙を啓く」ということは、当然だがマジであるわけだ、たとえば今回、ガイル青年や色鉛筆ちゃんを跳ね釣りで飛ばしてみたのだが、両者とも初めてそれを体験すると「うおっ!!?」「わあっ!!?」とまったく驚いてすっ飛んでいった、つまり人間の身体からそんな力が出るというのがまったくの想定外ということだ/「な、なんですかこれ!!」となるのだが、そりゃキミが知らんかっただけで、もともと身体を正しく使えばそれぐらいの力は出るものだ、そうして致命的に「知らんかった」ということがいくらでもあるということ、そのことを冷静に「無知蒙昧」というだけだ。
「ワークショップの後、クタクタになって、寝て起きると、そのときの自分が昨日とはまったく違う世界にいるのがわかる、教えていただいた新しい世界の中に自分がいる」という人もいる、そりゃそーだ、これまで閉じていた蒙が啓かれたのだから、アタリマエに本来の世界が見えているわけだ/いっそ「九折大学」に入れたらいいのにな、なんて話を帰り道にした、「そしたら四年間、みっちり、毎日がこんな感じだぜ」と、そういうことはたとえ空想でもウオオオと楽しいものなのだった。

学門をやるのは学者だから、学生気分で学門はやれない。

「過去の数年間で、なんて誤ったものを身につけてきてしまったのか」「いや、そういうことじゃない、過去の数年間で、『これは違う』ということを確かめてきたんだ、だから今ここにいるんだよ、その数年間がなきゃ今ここに来ていないんだから。むしろ、わずか数年間で、『これは違う』ということを見切れたのだから、そのときみっちりやった甲斐があったと捉えるべきだ」。
「以前、野球選手のイチローが言っていたよ、彼もかつてウェイトトレーニングに重きをおき、数年間やってみたのだけれど、研究の結果、スイングスピードが落ちるということがわかって、ウェイトトレーニングを放棄した、でもそれは、『自分でやってみて、自分で見切れたからあきらめられたのであって、自分でやらないうちに、あきらめることはできないでしょうね』ってさ、つまり一定量自分で誤りに飛び込んでみて、それが誤りだと確信する過程も必要なんだよ、それも学門の道なんだ、だからそういう、"我流で死にました"というような学生時代を過ごしてきたことは、今になって偉大なことだったと認めるべきなんだ、今われわれはその土台の上に立っているのだから」。
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