☆いい女☆で行こう!

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生きものが持つ、「殺し合いを為す」という仕組み
ポーツ格闘技を見ていて、いつも思うことがある。
いつも、見ているとなぜか、勝ったとか負けたとかではなく、「きっちり殺すところまでやらなきゃだめだ」と思う。
殺すというのは、比喩ではなくて、実際的な殺害だ、殺害するしか戦いを終わらせる方法がないので、殺すしかない。
きっちり殺しておかないと、また力を蓄えて報復にやってくるので、殺すしかないのだ、スポーツのルールがどうこうというのは、あくまでかりそめのことでしかない。

生きものが生きものを殺すのは、ご存じのとおり、そんなに悪いことではない。
生きものは、食べるためには殺さねばならないし、戦争になれば、相手を殺すことはまったく悪いことではなくなる。
生きものの仕組みとして、だめなのだ、生きものの仕組みとして、自分を殺しにきたものは、逆に殺し返すしかないので――つまり「殺し合いを為す」という生きものの仕組みがあるので――格闘技なんかするなら、そのたび相手をきっちり殺害しなくてはならない/そうして、前もって互いが殺害しあうことに合意するなら、そのことに問題はないと思う。
むろん、殺すとか殺されるとかいうのは、生きものとして最もイヤなことなので、最もイヤなことだけを己の生にすることになるが、なぜか一部の人は、この「最もイヤなこと」にしか納得しないという性向を持っている、そのリアリティにしか感受性がないという人がいるのだ。

われら人類は、そんなに賢くない。

「殺し合いを為す」という仕組みが、生きものにはあって、ふと気がつくと、立派なことをしているようでいながら、けっきょくはその「殺し合いを為す」という仕組みに恭順して、支配されて生きているだけ、ということがよくある/それならいっそ、初めからその人たちだけで、堂々と殺し合いに同意するほうがいい、今日殺して明日殺される、そうすれば少なくともごたいそうな欺瞞はなくなる(ただし、ヨソでやってくれ)。
「殺し合いを為す」という仕組みが、"生きもの"にはあって、われわれが光や愛の命を失えば、われわれは"生きもの"の仕組みしか持たなくなるのだ/われわれはそんなに賢くなく、目の前に示されているものが何であるのかをよくわかっていない、目の前にただの「殺し合い」を見せられても、よくわからずにそれを見せられたまま眺めている。
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