☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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何がどう"かわいい"のか

中に、いくらでも「かわいい」女の子がいるし、テレビや雑誌に出ている女の子なら言うに及ばず、そして男でも今は無数に「イケメン」と呼びうる人たちがいる。
が、ごくごく冷静に眺めてみれば、その「かわいい」女の子たちは、何かを愛しているわけではないし、何かに感動しているということでもないのだろう。
つまり、そこに「こころ」はまったくなくて、そのときごとの不安や感情に、ただ振り回されて生きている様子がある、何かを楽しいとかムカつくとか感じたりするが、何かを愛したり感動したりということはまったくないように見える。
コンテンツ的な「かわいい」女の子は、実にかわいらしい仕草をするが、けっきょくあれは、全部ただの「演出」だ、物憂げな表情で豊満なバストを持ち上げたりしているが、こころの中はマジで空っぽなのかもしれない、それは一般に「エロい」と言われたりもするが、僕はそうした蠱惑的な"肉塊"を抱くとどんな心地がするものか、すでに知っていて昂ぶりは起こらない。

ツイッター等を見ていると、たとえ有名人でも、またチヤホヤされる美人でも、「病む」ということがあって、死にたくなるようなことがあるのだというのがよくわかる、そういう報告をいくらでも見かける。
そして、「マジで死にたい」という感情が、いくらでも世間に見当たるのに対し、愛や光や、勇気や誠実さに向けて、「胸が張り裂けそうだ」「うずくまって、立ち上がることもできなかった」「震えて、震えて……」という歓喜と慚愧の入り交じった感情が起こってやまなかったという報告や現物は、まったく見当たらない/じゃあ、われわれが見ている「かわいい」って何だ?
そのときごと、パンケーキが流行ったり、キラキラのアニメが流行ったり、映画のテーマソングが流行ったり、イベントやインスタ映えが流行ったりしているが、その中で何かを愛して震えたのだろうか、いろんなジャンルにいろんなオタクがいるが、それらはけっきょくオタクであって、何かのテーマ世界が「自分をかけがえなく強くしてくれた」「自分に愛を教えてくれた」ということはあるのだろうか。
僕が何かを責めているわけじゃない、おそらく、もともと「責められている気がする」という、奥深くからの現象があるだけだ/僕はコンテンツ的な美女や美少女の画像を見ているといつも思う、「このコは何かを愛したことがあるのだろうか?」「このコは何かの光に歓喜して震えたことがあるのだろうか?」「もしそれがないのだとしたら、何がどう"かわいい"のか?」。

夕焼けはきれいだ、あなたのこころは震えないのか。

何かを責めているわけじゃない、むしろ逆だ、そこにこころが震えて歓喜するということが起こらないなら、無理に夕焼けを「きれい」なんて思わなくていい、こころが歓喜に震えないということは、つまり「しょうもない」ということだろう、そうしてすべては「しょうもない」としか感じられていないのに、無理に感動したふりなんかしなくていい。
インスタ映えの写真はカラフルできれいだ、そしてコンテンツ的な美女は蠱惑的かもしれない、だがそこにこころが震える歓喜を得ることはできない、何しろ当人がそこに震えるこころを持っていないのだから/今、人々は何を見て「かわいい」と言っているのか? 誰もが一種、すでにヤケクソで生きているようなところがある。

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