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今夜も一人で生きつづける2
ンターネットやSNSは、人間の精神に、電子的な田舎村を作る。
田舎村、つまり、何かを共有していると思い込むのだ、だがわれわれは「本質」において、何かを共有するということ自体がない。
僕が聞いている雨音や、僕が見たガンガーの黎明が、どうやって「共有」されるのか、その共有を妄想することから、すべてのうっとうしさとつまらなさが始まっている。
本質的に「共有」などないのだ、この世界が歓喜なのか悲嘆なのか、そんなことは誰との共有もあてにできない、ただ自分のものだ。

今夜も一人で生きつづける、そもそも「生きる」というのは自分一人のことだ。
僕が誰かのことを愛したとして、他の誰かがその人のことを同様に愛するわけではなし、だから「共有」はないのだ、このありもしない共有への妄想を放棄しなくてはならない。
共有への妄想は、妄想の世界を創り出し、その中に妄想上の「わたし」を創る、つまり本質的に「わたし」でも何でもない習慣的な「わたし」を創り出すのだ、<<このエセの「わたし」は世界の何をも感じることができない>>。
この妄想の「わたし」を破棄したとき、人は何かを探す理由がまったくなくなる、いつもただ目の前のことを掴めばいいだけだからだ、そして目の前のことを掴むというのは自動的なことであって、本人がこれといって頑張るようなことではない。

正しい「わたし」は、「わたし」というよりは「一人」だ。

何しろ「一人称」というのだから、「一人」というほうがいい、一般的な「わたし」はすでに言葉として汚染されすぎているので、「一人」が一人称だと捉えたほうがいい。
僕の友人たちへ……人格が二つ存在するのだ、そして片側は、とんだエセ人格で、世渡りをする以外には何の使い道もない、それは本当には人格でも何でもない、誰かに向けて使うものでもない。
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