☆いい女☆で行こう!

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バリア〜

し、ナゾのバリアみたいなものを持てるというか、与えられるとしたら、そりゃあカミサマ的なものから頂くものだろう、バリアがあれは何だって安心だ。
われわれはアクマ的なものから身を守りたいわけで、悪霊退散、なぜバリアを頂くならカミサマ的なものからだと言いうるかというと、カミサマのほうがアクマより力が強いからだ、アクマのほうが強いのではバリアになってもらえない。
アクマは、人より力が強い……そりゃ人のほうが強けりゃ、バリアなんか要らないわけで、バリアを欲しがるというのは、人よりアクマのほうが強いからだろう、人力ではアクマに勝てないので、カミサマに守って頂くしか、われわれは己を救うすべがないということだ、もちろん本当にアクマとか悪霊なんてものが存在したらの話だけれども。
そして、ふと思うのだが、ドクロをアクセサリーにしている人はいくらでもいるし、街中のグラフィティは何かしらアクマ的にしようと若者らがデザインしているし、ブラックメタルの人々などを見ていると……少なくとも、本気でアクマ的なものを信仰している人たちは、ぼんやりとカミサマを信仰している人たちよりも、本腰を入れて信仰しているなあということなのだった、悪魔崇拝の人々は大マジで儀式をするが、われわれはそこまで本気でカミサマのことを信仰はしにくいのだった。

少なくとも、悪魔崇拝者たちの真摯(?)なところは、彼らは教会にも寺院にも頼らないということだ、そういう施設に頼らないで、自分の信心だけでアクマに向き合おうとする、生身で直接/月に一回教会に行けばいいやとか、年に一回墓参りにいけばいいやとか、そういうチャチな信仰を彼らはしない、悪魔崇拝の人は自室をその祭壇にするぐらいの勢いがある。
その意味では、悪魔崇拝の人は、結果的にであれ、引き返さない自己決定をしているのかもしれない、そしてそこまでアクマを本気で信仰する人は、その信仰から何か「力」を得ているからなのだろう、さすがに趣味やヒマつぶしにやれるようなことではないはずだ/あるいはマジで力が得られるとなったら、多くの人はこっそり悪魔崇拝にこそ興味を持つのかもしれない。
馬鹿げた与太話だが、もし、そんなことで力を得られるのだとしたら、それは施設との関係ではなく、本人が直接、アクマ的なものへ向き合って、関係を持つからだろうな、ということになる、そうして考えると、もしカミサマからのバリア的なものがありうるのだとしたら、こちらも、本人が直接、カミサマ的なものへ向き合って、本人から直接の関係を持たないと、バリア的なものはもらえないということになるだろう。
総じて考えると、われわれは、現代の文化の中にいて、なんとなくアクマを信仰する本気のやり方は想像がつくのに、カミサマを信仰する本気のやり方は想像がつかないと感じるのだった、なぜなんだろうな、ひょっとするとそうではなかった逆の時代もあったのかもしれない。

われわれは、アクマじみている人を確信はするのに、カミサマじみている人を確信はしない。

ワイドショーでひどいニュースが報道されると、「マジでアクマじみてんな」というサンプルはいくらでもみつかるのに、反対側、「マジでカミサマじみてんな」というサンプルについては、あまり見当たらず、見つかったとしてもわれわれはあまり自信がない/われわれはアクマじみている人を見かけたらソッコーで逃げたく感じるのに、カミサマじみている人を見かけてもソッコーで駆け寄りたいとは感じない。
単純化すると、われわれは、不審者の不審さに官能するしか能がない、という状態になっているのだが、これはひょっとすると、われわれがすごくアホになっているということなのかもしれない/うーんそんなことでは、ノーバリアで生きていくしかないな、おれはバリア欲しいけどなあ、おれだけこっそりバリアゲットできんものかね。

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