☆いい女☆で行こう!

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蔓延する非常なダルさ

、世の中に、非常なダルさが蔓延している。
ダルさが蔓延しているからこそ、「やる気」といってブーストをかけたり、マウントといって業を煮やしてエネルギーにしたり、モチベーションといって自己洗脳状態にしたり、「炎上」といって集団催眠に耽ったりせねばならないのだ。
このダルさが、どこから来ているかというと、(何の根拠もないのだが)、男女の性別が曖昧化されたことから来ている。
男女だけでなく、店と客とか、演者と観客とか、教師と生徒とか、目上と目下とか、書き手と読み手とか、本来は区分されるべきだった両者が、垣根を超えて癒着することで、何もかもがダルくなった、それはもともとの区分・区別からエネルギーが生じていたものを、無くしてしまったことによってエネルギー源が失われたということでもある。

このことは、チャクラ的にはヘソの下、いわゆる臍下丹田のあたりと関係している/臍下丹田には「自立」という力があるが、自立というのは「自分を他人と区別する」ということだ、この臍下丹田にある「区分の力」そのものを、多くの現代人は失っていると見ていい。
それにより、現代人は、多く「うっとうしい奴」になってしまったのだ、表面上はそのことを隠しているにしても、その内実はずいぶんうっとうしい奴になってしまった/「自立」というのは、うまく言い当てたもので、これは経済的な自立のことを意味してはいない。
「自立」というのは、ただ「立つ」ということだ、ここで区分の力を失った人は、他ならぬ「自分」が立つということがわからないままでいる、それで焼けついたまま他人にしなだれかかり、当人は「やる気」や「モチベ」や「マウント」や「炎上」をしきりにやるので、結果的にうっとうしくてしょうがない奴になるのだ/このことは臍下丹田から「自立」を覚えるまで構造的に解決されない(そりゃヘソの下がない奴がどうやって「立つ」んだよ)。
今、流行しているものを見てみたとして、そこに「彼が立っている」「彼女が立っている」と見える姿はほとんど見当たらない、比較してかつての石原裕次郎が「やる気」「モチベ」「マウント」「炎上」をやっていたという感じはまったくしない、現代人は多く体質のレベルで単純な「区分的自立」の機能を失ってしまったと捉えるとわかりやすい。

ヘソの下、自立を鍛えましょう。

人のつながりというのは、自立した人々がつながるから「つながり」なのであって、癒着して団子化しているものを「つながり」とは言わない、まあ本当にキモチワルイ、うっとうしい人が増えてしまった/「区分の力」を持っていないということは、つまり、他人の意志が他人の意志だとわからないということだから、結果的に、常に他人の意志をべっとり自分向きに曲げようとすることしか発想できない人になってしまう、これはもううっとうしいというレベルを超えて、最終的に殺害関係になるしかしょうがないのだった。
当人は、甘やかされた思春期の幻想がへばりついているから、そのまま中年になると、これは想像を絶するキモチワルさが出来上がること請け合いなのだった、こんなキモチワルイもので互いにダルさを与えあっていては不毛きわまりない/区分的自立が持てない人はいつも内心で感情を激しているが、それも区分的自立を持てないせいだ、臍下丹田の支えが死滅していると内心の感情はまったく制御不能になるのだった、だから当人は激した感情をずっと「正義」だと信じ込んでいる。

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