☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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邪ンル
品を通してしか、やれないことや、伝わらないことがあって……
そもそも、人とのコミュニケーションというのは、そんなに大事じゃない。
人とのコミュニケーションが大事というのは、地図やガソリンスタンドが大事ということと同じで、どこかに向かうから大事ということに過ぎず、どこにも行かないのに地図を眺めたり給油だけを続けたりしているのはヘンだ。
映画を観て、感動しない人と、話すことはない、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観て感動しない人と、いったい何を話せばいいのだ、そんな人と話す義務があるのは医者と警察官だけだ。

「ジャンル」という、概念自体に危険があって、たとえばイーグルスが「ホテルカリフォルニア」を歌っているのを聴くと、それは「歌っている」という感じがしない、少なくとも現代のように「バンド活動をしている」というふうにはまったく見えない、「ホテル、カリフォルニア」としか聞こえてこない。
音楽や、歌や、バンド演奏という捉え方も勿論可能なのだが、そういう捉え方で頑張っている人からは、何億年経っても「ホテルカリフォルニア」は聞こえてこないのだ、その意味で「ジャンル」という概念は恐ろしいものだ。
「ジャンル」という概念があると、たとえば、何も語るべき世界がない人でも、「よし、 "小説" を書こう」と、決断できてしまうのだ、これは恐ろしいことだ、こういう人はたとえば「よし、 "セックス" をしよう」とも決断できてしまうということだ/本来、人のやることが、冗談的にはジャンルに分けられるというだけであって、ジャンルという分類そのものを人が「やる」のではないのだが、現代ではそれができてしまう、このトリックには重大な恐怖を察知せねばならない。
こういうふうに、「ジャンル」をやる人と、「コミュニケーション」なんかさせられた日には、わけがわからなくなるのだ、イーグルスが「ホテル、カリフォルニア」と言っているのは、わかるのだが、その他の人々があれこれ言っている現代は、本当に何を言っているのかわからない/われわれはコミュニケーションといっても、世界の中で話している人の言っていることしかわからない、世界の外側から思いつきをツイートしている人の話は、本当に100パーセント完全にまったく意味がわからないのだった。

「ホテル、カリフォルニア」はわかるのだが、それを「いいですよね」と言っている人の話は僕にはわからない。

たとえば「かくれんぼ」という遊びがあって、人は鬼から隠れるということはできるが、「かくれんぼ」というジャンルを「やる」ことはできない、できないはずだが、現代人はできてしまう、何をやっているのか意味がわからないが、現代人は「ジャンル」をやってしまうのだ、恐ろしいことで、「ジャンル」として「ホテルカリフォルニア」を演奏しても、それはホテルカリフォルニアという歌曲のシミュレーションにしかならず、そのままだと何億年も「何これ……」という意味不明の作業だけが続いてしまう。
たとえば、人には「ハレルヤ」という言葉があると思うが、「ハレルヤ」という「ジャンル」をやったとしたら、イエスキリストだって「何それ」と言うだろう、何もしていることにはならないのだが、現代人はこの「何もしていない」ということを熱烈にやれてしまうのだ、それならもう「バンド、活動ぅ〜」と歌ったほうがいい、そのほうが逆に歌うということの意味がわかるかもしれない。
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