☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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健康になる実力勝負と、不健康になる勝負事

は勝負事が好きでない。
勝負事は、真剣勝負に近づくほど、敗者には破滅が用意されているからだ。
勝負事があったとして、仮に、僕が勝利したとしても、敗者が破滅に追いやられるなら、そんな勝利も勝負事も欲しくはない、僕は勝負事という方法そのものが間違っていると思う。
人は、自分と他人とを「本気」にさせたがるから、この「真剣勝負」という方法を思いつくのだが、方法の発想が間違っていると思う、これはけっきょく「血で血を洗う」ことにしかならない。

僕は、勝負をするのではなく、初めから勝利していたい、そうでなければ勝利の値打ちがないと感じている。
つまり、敗者の発生と引き換えに、自分が勝者になるのがいやだ、その点僕が初めから勝者なら、敗者なんか発生しようがないので、方法として優れていると思う。
僕は堂々と実力勝負をしていきたいが、僕にとっての実力勝負というのは、「お前は初めから勝利しているか?」という問いに起こっている、この問いに敗北して、実力勝負が勝負事に転落したとき、その後はもう勝っても負けても負けだと思っている、不本意な勝利か不本意な敗北かのどちらかしか得られないのだから。
「勝負事」には、スリルがある、それは破滅と栄光の天秤がゆらぐスリルだ、でもそのスリルは、ゼロサムであってそもそもが豊かでないと考えている/何より決定的なのは、「勝負事」のスリルは、どれだけ夢のない人でも得られてしまうスリルだということだ、僕はこのスリルを肯定しない。

勝利の門に入ること、勝負の門に入らないこと。

法や倫理を放逐すれば、スリルなんて簡単に作り出すことができる、憎み合う二人を一席に座らせて、互いに命がけのギャンブルをさせればいいのだ、片側は耐えがたい屈辱の中で死んでゆき、片側は抑えきれない愉悦の中で憎む相手の惨死を見守るだろう、その周辺には人々の本性が垣間見えるかもしれないが、その本性はたいしたことではないのだ、共食いさせるという呪術は古くからあって陳腐化している。
勝負事が、常軌を逸するほど、勝負事のスリルは高まるものだが、そこで心臓がドキドキするのはときめきではない、「不穏」のシステムが活発化するだけだ、人は光から離れた休憩中にそうした不穏のスリルをむさぼり、気づくと光のところへは戻ってこられなくなっている。

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