☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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何をしたらいいかわからない人へ
をしたらいいかわからない人は、何をしているのかが見えないのだ。
何をしているのかが、他人から見て「見えない」のだ。
この場合、自分自身も、何をしたらいいのかわからなくなる、これは典型的なパターンだ。
そこから、自分が何をしたいか等、思い詰めていっても、解決はされない、他人から見て「何をしているか」が見えるということ、これが思いがけずキーファクターなのだ。

何をしたらいいかわからない人は、「何を」という点的な視点ではなく、それぞれの「まとまり」や「全体」のことを見るほうがいい、正式な言い方で言うと「構造化して見る」ということになる、これはどうしたって不可欠なのだ。
たとえば小学校の「六年二組」は、他の組があるから二組なのであり、中学校や高校があるから「小学校」なのだ、「六年二組」という単体があるのではない。
中学校や高校の存在を無視して、「六年二組で何の授業をしたらいい?」というのは決定できないのだ、それで「何をしたらいいか」がわからなくなる/いかなるものも構造のうちの「一」であり、構造の中の一断片であることを忘れてはならない、忘れるとまさに「何をしたらいいかわからない」という状態になる。
人は何かをするとき、自分が「どうなっていくか」という前提で、それをすると決定できるものなのだ、今このときにすべてを懸けられるのも、「今このときにすべてを懸けないとこの先が話にならん」という前提から、今このときにすべてを懸けられるのだ。

行き先なしに足跡はない。

足裏を地面にぐりぐり押しつけるというような、わけのわからない「足跡」はない、自分の行く先をきっちり「信じている」こと、そのことなしに今日の一日を足跡にできる可能性はない/いくら「楽しんだ」として、そのことはあなたを救済しないだろう、自分の行く先を信じていない人は、他人から見ても「何をしているのか」が見えないものだ。
足跡のすべては思い出で、足跡そのものがあなたの実在だし、今日という一日、今という瞬間がすべてだが、今という瞬間には「どこかに向かい続けている今」ということも含まれている、永遠の今というのは、われわれが永遠にゆくことを指して「永遠の今」だ/自分の行く先――未来――を構造的に見ないということは、明日を焦ることと同程度に虚しい、「どこへ行くの」と言われたら「ここへ行くの」と目の前で指させ。
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