☆いい女☆で行こう!

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WS報告015(3)/「誘い込む」法、ハローグッバイ法

の距離感、および「Go」と「Come」は、実は物理的なものでもなければ、気分的なものでもなく、ナゾの「風向き」で変わっている。
この「風向き」の現象は、「誰が気づくんだよこんなこと」という現象であって、しかし気づいてしまうと、意外に簡単に操作できる現象なのだ/この現象は例外的に、「まず気づかないが、気づいてしまうとカンタン」なタイプだ、ふつう逆だけどね、「気づいてはいるけどむつかしすぎる」というのがほとんどの現象なのに(まあこれは、単純な「(大)気の流れ」だからな……)。
このように実演する、僕が誰かに向かって(全員に向かってでもいいが)、手を振る、そして僕が僕自身から見て「追い風」で手を振ると、その手は「ハロー」に見える、次に捉える風向きを逆にして、僕自身から見て「向かい風」で手を振ると、その手は「グッバイ」に見える、手の動作はまったく同じなのにだ、これはやられてみると誰でも「ホントだ!」と不思議にわかるものだ。
僕が誰かに正対して、僕が「向かい風」を捉えているとき、僕の正面にいる人にとっては、その風は「追い風」ということになる、だから僕の正面にいる人にとっては「Go」が掛かり、僕自身にとっては「Come」が掛かる、これによって「誘う・誘い込む」という現象が成り立つのだ/「誘い込む」という風向きの中で、僕が「フライドポテト食べてくるわ」と言うと、それだけで「誘われている」という現象がはっきり生じる、風向きを逆にすると「誘われている」という感触はまったく生じない。

図示してみると、「あ、そりゃそうか」と、実はカンタンな話なのだった、図示A[→人→僕→]なら僕が「誘っている」ことになるし、図示B[←人←僕←]なら僕は「追い払っている」ことになる/矢印が「風向き」なのだから、想像してみれば当たり前だ。
しかし、この簡単な原理が、気づかれるかというと、気づかれづらさはエクストリームなので、人は平気で逆をやってしまうのだった、つまり「おれについてこい!!」というふうに、自分の追い風で「発信」してしまうのだ、そうなると、人は癒着的にしか「ついていく」ということができなくなる/それがまた、癒着的な人ばかりを呼び込んでしまうのでもあった。
この構造と図式は、カンタンでクリアで、希望にあふれたものだが、ひとつのテーマに切迫させるものでもある、というのは図示C、[→人→僕→X]としたとき、風向きの果てにあるX、つまりこの場合でいうと、「僕自身は何に誘われているのか?」ということが問われるのだ、僕自身の行く先がなければ人を誘い込むことはできない。
ここで、最近ワークショップでよく言う、トリニティの問題が出てくるのだった、風向きが三角形の循環を取ると捉えたとき、僕はXに誘われ、人は僕に誘われるわけだが、そのときXから人に差し込む風がある、つまり誘う僕に正対する人が受けている「追い風」は「Xからの追い風」だというのが真相だが、このXからの風のことをさしあたり「祝福(bless)」と呼んでいる/この祝福の主体Xが、誘い込まれる人のこれまでの帰依と異なるとき、人はこのトリニティから脱落するのだ、この祝福の追い風をキックした人は、別の追い風の中へ吸い込まれていくことに、強制的になってしまう。

X bless you!

けっきょく、人の行き先は、この「bless」で決まってしまう、聖のblessを受ける人は聖のトリニティに収束してゆき、蛇のblessを受ける人は蛇のトリニティに収束していってしまう/聖書のシーンを例に出すとわかりやすいが、アダムとエヴァと蛇がいて(トリニティ)、蛇がエヴァをそそのかし(誘いこみ)、そしてエヴァはアダムを誘い込んだのだから、アダムは蛇のblessを受けることになる、このトリニティによって、人は楽園を追放されて地上に落とされたと聖書では伝承しているはずだ。
X bless you ということだが、より差し迫っては、 "You are blessed by X" あるいは "You must be blessed by X" と捉えるべきかもしれない、このときワイルドカードXが、人によってまちまちで、取り替えが利くのか利かないのかも、よくわからないのだ/ここの根源的な仕組みを指して、「ここが一番ヤバイ」「九折さんは動いている原理が他と根本的に違う」と、われわれは割と大マジメに悩んでいる。

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