☆いい女☆で行こう!

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「世界愛とかブッ殺しますよ」2

にこう考えればわかりやすい/誰でも、ほら、「自分がメラメラくる」というのはわかるじゃないか、それが自己愛というやつで、業(カルマ)のはたらきで、蛇教の証が身に現われているということでもある。
で、その逆の現象もあるということなのだ、あくまで仮想上「なるほど、ありえるな」ということでわかってほしい、自分でなく「世界がメラメラくる」という現象があるのだ、「じゃあ自己愛じゃなくて世界愛ってことね」「そうそう」、そう仮想すればこの原理は理解としては単純に得られるじゃないか。
自己愛の側は、「世界愛とかブッ殺しますよ」という発想に行き着くのが当然だし、裏側も当然、世界愛の側は「自己愛とかブッ殺しますよ」という発想に行き着くのだ、これはどちらがいいとか悪いとかではなく、最終的には同一のところへ結ばれるものだ。
ただし、自己愛と世界愛は、最終的には同一のところに結ばれるにしても、その途中で取り違えるのはダメなのだ、最終的には同一のところに至るにしても、途中までは同一じゃねーよ、途中で自己愛を世界愛にすり替えるのはダメだ、「自分がメラメラ来てますわ」というのと「世界がメラメラ来てますわ」というのは現象が正反対に異なる。

なんというか、「おれっち最強!!」というのでいいのだ、ただし最強というなら、あらゆるすべての人を飛び越えて「世界ラヴ!!」という状態でなければならない、なぜかというと、自己愛だけデカくて世界を愛していないのであれば、最強どころか最弱感がハンパないからだ、最強というのは世界をマジで愛し抜いている奴が最強という感じがするじゃないか、世界を愛していない強がりなんてシャバ僧の極みでサムイサムイだ。
それで、世界愛を推奨しているのはなぜかというと、みなさま方におかれましては、基本的にマジメで篤信家でいらっしゃるので、生え抜きで蛇教の証が色濃く出ていて……どことなく、オカルトや占いやスピリチュアルを信じる気質があるからダメなのだ、そのイージーな信仰心があるせいで、自己愛カルマ蛇方向への証が身に現われすぎてしまっている、その信仰心はデフォルトで自分の身をゴリゴリの蛇カルチャーに育ててしまうのだった。
この、篤信の蛇屋さんは、「世界がメラメラ来ているだろ!!」→「来てますね!!」というやりとりの中で、つまり「→」の部分で、解釈を蛇カルチャー物に変換するからダメなのだ、恣意的な誤訳をしている、(ここで急にやる気がなくなってきたのでこの話やめよーかなと思っているが)、もし機械をつけて測定できるとわかりやすいのだが、基本的に世界がメラメラ来て夢中で動き回っているときは、自分(吾我)は静かなものだ、世界がメラメラの中で自分は八面六臂なのにノーメラメラというのが世界愛だ。
「メラメラくる」というエネルギー源は、自分(吾我)なのか世界なのか? この二派が相克している、別にどちらの派が正しいというものではないが、両者を取り違えるのはいかん、そして何もわざわざ違う派のところに首を突っ込んで、その首謀者を殺さんでよろしい、僕だって自己愛派をわざわざ殺しに出かけるようなヒマかつ野蛮なことはやりません。

いまどき、自動車でさえハイブリッドだっちゅーの。

バッテリーにガソリンを入れたらものすごくアホだし、ガソリンタンクにバッテリー液を入れても大変なアホじゃないか、それと同じように、自己愛と世界愛は区分されなくてはならない/そして、電気駆動の仕組みを持っていない車の、内燃機関をオフにすれば、そりゃスーッと停止して休眠してしまうよ、それと同じように、カルマエンジンを切るとスーッと停止して休眠してしまう人があるのだ、そういう人は自分の車種が古くてダセーということを自覚せねばならない、もう時代的にカルマエンジンは排ガスの毒性から使用が制限されようとしているのだ。
おれがメラメラする仕組みは、あの人がメラメラする仕組みと違うわけだ、おれがメラメラするとき、おれはメラメラしていないからね、おれはおれが自分なのじゃなく、おれは世界が自分なのだ、だから世界がメラメラくると、おれが暴れ回るのだった(だからおれが「世界ラヴ」というのは、つまり「おれラヴ」ということだ、そりゃおれのことだからそうだろうな、おれはおれのことしか考えねー)。

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