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合理的に見たキリスト教の必要性2

道は主に、「浄穢」をテーマにしている、これはわれわれ日本人にはわかりやすい、大晦日までに大掃除をするのはこれが理由だ、そしてその先の奥義は、逆にむつかしすぎてわれわれには到底わからない。
キリスト教はきっと、「聖俗」をテーマにしている、これはわれわれ日本人には縁遠い、だからわれわれは意図的に学ぶ必要がある、特に暮らしの卑俗化に対抗する知識として今急速に必要性を増してきている。
仏教は究極、「有無」をテーマにしている、有も空であり無も空であるというような、「色即是空」の、理解ではなく会得を、仏教は "入口" にしている、これはわれわれ日本人にとってとりあえず「すげえ」というのがわかるが、自分がどうしたらいいかは「さっぱりわからん」となる。
ハラキリや突撃や武士道に顕れているように、東洋の宗教観は、死生観がハードなのだ、神仏に比べたら小さなものだから「サッと死ね」と言っているようなところがあり、われわれのうちにある「聖なるものに出会わせてください」という願いを突き放しているところがある、そのぶん東洋の宗教は宗教戦争を大規模に起こさずに来たのだが(サッと死ぬという発想の奴が戦争なんか仕掛けない)、それにしても生と自己実現という思想を植え込まれたわれわれにとっては突き放しが悲しいのだった、現代のわれわれにはソフト路線としてキリスト教への基礎知識と理知的尊崇が求められている。

われわれは、「穢れ」という感覚で、具合が悪くなるときがある、そういうときは神社でお祓いでもしてもらってこいということになる。
またわれわれは、人生が無意味だとか、絶対に取り去れない憎しみが有るとかで、具合が悪くなるときがある、そういうときは禅寺で座禅でもしてこいということになる。
そして、特に現代のわれわれは、生活環境において「俗悪」にまみれ、俗悪およびそれ以上の何かに毒され、それによって具合が悪くなるときがある、そしてそういうときは「教会で……」という手続きが、われわれの内にない/もちろんこんなテキトーな発想で、教会の世話になるべきではないと思うが、僕は教会の実態は知らないのでよくわからない、とりあえずいちいち施設のやっかいになる必要はない。
僕の感じているところ、産業に取り囲まれたわれわれに降り注いでいる俗悪、および俗悪以上のものが、われわれの身にキツすぎるのだ、何の対抗手段もなくガンガンその毒を放り込まれている/俗悪の技術を、外国から輸入したのに、その拮抗阻害になる「聖」は輸入していないというのでは、バランスが壊れるに決まっている、仮にオンラインゲームなら調整アップデートが至急に必要な状態だ、「俗悪系で攻められたら勝ち目ねーじゃんこれ」というクソゲー状態だ。

パワースポットは流行したが、ホーリープレイスは流行していない。

流行しようがないのだ、そもそも「ホーリー(聖)」という概念が輸入されていないのだから/汚穢には浄化のパワーで対抗できるが、そのパワースポット的発想では「俗悪」には対抗できない、いかなる神宮も「清浄」なのであって、俗悪に対抗するパワーではないのだ、かといって仏教を持ち出すと、仏教は基本的に「解脱」のことしか言ってくれない。
われわれ日本人には、もともと「トレーニング」という発想がなかった(たとえば相撲取りは稽古で身体を作るのであって筋トレで身体を作るのではない)、だから「聖」という概念も必要なかったのだが、己の身に力を蓄えるという発想を持ち始めると……力の原理は、愛の原理の反対なのだ、力の原理だけ与えられて「聖」の概念を与えられないと、俗と力だけが肥大化し、「愛」の原理にまったく触れられなくなる、よって今こそ汚穢でもなければ善悪でもない「聖」の学習が必要なのだった/「聖」のバリアがないと俗悪の「力」に入り込まれるのだ。

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