☆いい女☆で行こう!

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天国行きと地獄行きの分岐点

、移動中だし、わかりやすさだけを考えて言う。
天国行きと地獄行きの分岐がわかった。
輪廻図と十二因縁に、地獄道と「受」の因果が書かれている、どこかで輪廻図の画像でも検索してくれ。
十二因縁において、「行・行く・行う」が人間道だ、そしてこの、「行う」の反対が「受」(地獄道)なのだ/単純にいうと「受け身」のことであり「受動態」のことだ、こんなささやかな、しかし決定的なことが、われわれの分岐点になっている。

「わたしが祈る」というのはいいのだ。
けれども、おそらく多くの人がこんにち、「わたしが祈る」ではなく「祈るわたし」になってしまっている、「受」なのだ、このことは近年隆盛した「自撮り」の圧倒的横行の原動力でもある。
「わたしが祈る」というのは「行」だから人間道の因果だ、しかしそこに「祈るわたし」という魅力的成分が混ざっているなら、それは「受」であって、地獄道の因果だ、こんなことでこんにちのわれわれは、地獄行きを大量生産されているのだった。
もちろん「地獄」というのは、一般にも恐ろしい概念であって、われわれごときが軽々に扱える言葉ではない、今ここではわかりやすさを重視して最も単純な形で書き話している。

「わたしが◯◯する」と、「◯◯するわたし」は、分岐点で、魅力的なほうが地獄行きだ。

なぜ魅力的なほうが地獄行きかというと、力はもともと「重さ」であり(kgw単位を見よ)、重さは天から地に向かうからだ/「魅力」は魑魅魍魎のうち「魅」の力を指しており、語源として悪霊のひとつを指している。
わたしがやる、わたしが頑張る、わたしが歌う、わたしが笑う、それらはまだよし、しかし現代の主流は「やるわたし」であり、「頑張るわたし」「歌うわたし」「笑うわたし」だ、これはわたしの行ではなく受であって、だからこそ魅力的に、われわれを地獄道へ案内してゆく。

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