☆いい女☆で行こう!

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力とやさしさの原理2

は物事をバラバラに――分割――するのだ、これを原義的に「分かる」という/「分割」の意味だから「分かる」というのだ、このことは英語の tell A from B にも表れている。
力というのは、「分かる」ということで、「分かる」ものの果てが、「記号」ということだ、記号は交通標識のように「分かる」だけの機能しか持たない。
「分かる」ということは、実は、「分からないものの抹消」でしかない、たとえば父性原理と母性原理を考えたとき、それ以外の原理は「分からないもの」なので、この「分からないもの」を抹消することでしか、父性原理と母性原理の「分かる」は成立していない。
「知る」というのは、危険なことなのだ、何かを「知る」ということはしばしば、知らないもの・知りえないものの抹消でしか成り立っていないから/よって「知力」という力の原理を、よくよく警戒する必要がある、知力はわれわれを、生きるに有利にするが、生きることを豊かにはしない、むしろ滅ぼすものに加担している。

「分からないもの」が必要だ。
「分からないもの」は、原理的に、「やさしさ」に当てはまるはずだと推定できる。
人の話が「分かる」ということほど、危険なことはない、そもそも人の話、あるいは小説や映画や音楽もそうだが、「分かる」ように聴くものではない、今すべての聴き手は聴き手ではなく形態を変えたバトラーになっている。
物事には、もちろん「分かる」成分、正しくは「分かりうる」成分もある、その部分は分かってもいいのだが、そのことはあまり意味がない、「分かる」ということはフェイクなのだ、「分かる」ものが「やさしい」ということはありえない。

分かりつつ、分からせつつ、裏切り続けること/<<真実を分からせないこと>>。

真実は「分からない」のだから/それでも人は、分かることを求めるので、さも分かることがあるように、偽装する、真実を分からせようとするのは構造上の破綻なのだ、われわれは真実に対してトリックを示すことしかできない、<<やさしさは常にトリッキーにしか実現されない>>。
要するに、われわれの取りうる最も誠実な態度、最も真摯な取り組みは、真実を<<遠ざける>>ことなのだ、わたしは真実から最も遠いことを――遠巻き・遠まわし・回りくどいことを――言う者でありたい、それで初めて僕は自分を軽蔑せず生きてゆくことができる。

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