☆いい女☆で行こう!

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愛は基本的に「ない」のが当たり前3

は「ない」のが一般的に当たり前なので、愛のない人を攻撃していてもしょうがない/ただ、愛が「ない」ということを、ごまかされて、だまされてはいけない、そこはだまされることなく、一ミリの油断もなく、愛は「ない」ということを警戒しておくべきだ、そうでないと最後に裏切られたときにびっくりしてしまうから。
愛がある人と、善良な人の、明確な区別を知っておこう、この方法はぼんやりとせず、はっきりと持っておくことが必要だ、「善良な人」のことを正しく理解しておこう、このことは必ず明確に/善良な人というのは、「慾望を抑圧している」のだ、だから「善良」という成分が浮いて見える、そしてその抑圧は深いものだから、当人も慾望を抑圧していることを知らないのだ、だがそれは自覚がなく当人も知らないだけで、肝心なときには必ずそれが噴き出してくる。
世の中の、善良そうに見える人のすべては、慾望を抑圧しているから善良そうに見えるのだ、ただそれだけなのだ、そして抑圧が利かない状況が出てくると、コロッと態度も行動も豹変する、だから油断してはならない/油断してはならないというのは、「善良」な人々はみな、実はそのことを知っていて、互いに入念に「警戒」しているからだ、あなただけが無警戒だと、あなた一人がバカを見ることになってしまう。
善良な人はすべて、正しい手順を踏めば、詐欺にかけることができるのだが、それは善良な人が慾望を抑圧しているからで、その抑圧を「抑圧しなくていいんですよ」と誘導してやれば、コロッと慾望に支配され、まったく別の行動へ踏み出すのだ/善良な人が詐欺にかかるということの大半は、善良な人が慾望を抑圧しており、その抑圧を取り去ってやるのはかわいそうだという意味で、同情するに足りる、ということだ。

老人に接触するようになると、この「善良さと抑圧」および、「100%ピュアカルマ」ということが、わかるようになってくる/というのは、人は老化するにつれ、死が接近して来、次第に抑圧の意味が感じられなくなり、また機能的にも抑圧をキープできなくなってくるからだ、これまで善良さを浮き立たせるために慾望を抑圧していたところ、もうそれが保てなくなって、あちこちに噴出し始めるのだ、そのとき本当に、「カルマだけで生きているんだ」ということがはっきりわかるようになる。
善良さの浮き立たせも剥げ、カルマ100%の人格と世界が露出してくると、大変オゾマシイのだが、これはカルマそのものがオゾマシイのであって、そのことでショックを受ける必要はないし、そのことで破滅的な気分になる必要もない/愛を学んでいなければ、誰だって確実にそうなるのだ、これはただの「仕組み」であって、感情に及ぶようなことは何ら含まれていない。
ショックを受ける必要はなく、逆にむしろ、平穏を得ていいのだ、つまりカルマ100%の人と自分は、実は「何の関係もなかった」ということだからだ/人はもともと相互に無関係なのだ、カルマの都合上、相互に支えあったり、奪い合ったりしているだけで、それがなければわれわれは一人一人まったく無関係の存在だ。
愛の関係だけが、真に関係が「ある」のであって、その他のすべては、何かしらのしがらみであり、本質的には「無関係」だ、電卓Aと電卓Bは、両方とも電池で動いているが、それぞれの電卓は無関係に存在しているように、人と人も無関係に存在している、たとえ「大家族」のような暮らしがあったとしても、大家族の十人は十人ともが無関係だ、無関係が同居しているだけだ/「愛の関係」が見えるようになるということは、反対側の、「カルマの無関係」も見えるようになるということだ、そして愛の関係というのはとても少ないので、われわれが本当に生きる世界は実はかなりシンプルなのだ、愛の関係以外のノイズが分離されるとそのことがよくわかるようになる。

人には一切近づかないほうがいい(※)。

※ただし、愛のある人同士は除く/愛のない人はけっきょく、慾望を抑圧してあるだけの100%ピュアカルマなのであって、人付き合いうんぬんがあるにせよ、一切近づかないほうがいい、どうせどこかの段階で裏切られるというか、カルマをべっとりなすりつけあうことになるだけだからだ、そのことはいつも、驚くぐらいのエグさを急速に見せつけて来、われわれに精神的なダメージを与える(手間も増える)。
このままでは何の解決策にもならないので、至急、「愛」をちゃんと学ぶことだ、このことをあいまいにするのは何のトクもないし、今やそれをあいまいにしているようなヒマもすでにないのだ/ちなみに、余談になるが、本当の意味で「愛の人」になろうとすると、理論上は「慾望の抑圧を一切なしにして、なお悪性が生じないか?」というトライアルが必要ということになる、そしてこのことは、結果的にクンダリーニ・ヨーガになってしまうのだ、このヨーガはわれわれのようなシロウトがこなせるシロモノではなく、シロウトがこれをやろうとするとリアルな意味で精神が損傷してしまう、だから何にせよ、これはイージーなことではない、われわれは極めて高い確率でただの100%ビュアカルマとして生き、老後にはその抑圧も決壊させるしかしょうがないのだ。

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