☆いい女☆で行こう!

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生存本能について

間には生存本能がある/人間でなくとも、獣にも鳥にも蠱にもある、生きもののすべてにある。
生存本能とは、「自己」生存本能であって、自己および自己の遺伝子コピーを継承するものを保存し、繁栄させたいという本能だ、これは遺伝子に由来する現象なので、すべての生きものに具わっている/あくまで「自己」生存本能であって、「四丁目の木村さんを生存させる!」という本能ではない、そんな本能は存在していない。
そして、繰り返しになるが、自己生存本能というのは生きもののすべてにあるのであって、「あなた」にあるわけではない、どんな動物も抑えつければ暴れて逃げようとするが、それは生物の遺伝子由来の現象であって、「あなた」の現象ではない。
だから、自己生存本能から発生するすべてのことは、強く「あなた」に作用し、あたかもそれ自体が「あなた」に思えるが、実は「あなた」ではないのだ、蠱でも同じなのだから/だからそのとき燃えさかったさまざまなことは、後になってきれいさっぱり消えてしまう、この先を五十年生きて、燃えさかったことのすべてはきれいさっぱり消えてしまうのだ、本当にびっくりするぐらい、「自分は何一つ生きてこなかった」ということがわかってしまう、にもかかわらず、そのとき寿命により生存本能が踏み潰されるラストは目前に迫っているのだ、そのときになってあなたは、遺伝子に使い捨てにされたということに気づく。

前、ごくありふれた感じで、「エグザイルと、三代目と、浜崎あゆみと、倖田來未が好き、あとレディーガガも割と好き!」という人に会ったことがある。
そういうものを見て、「キャー」となるのは、単純化して言ってみれば、「カネの匂い」に反応しているだけだ、彼女が好むものは全員運転手つきの高級車の後部座席から出てきそうなイメージがある/だから彼女はボブ・ディランには反応しなかった、ボブ・ディランにはカネの匂いがない、ただし実際には、ボブ・ディランのほうが金持ちだろうが(当たり前)、そういう理性的なことではないのだ、何かの「匂い」に反応している、この反応は一般的に知られている「フェロモン」というような現象だ、体内ではたらくものをホルモンといい、外部にはたらくものをフェロモンという。
そうしたカネの匂いに反応したり、金メダルとか、「エロい」とか、権力とか戦闘力とか、もっと露骨に「セレブ」とかに「キャー」と反応するのは、すべて自己生存本能に由来しているのだ、自己生存に「力学上有利」だから、キャーとなっているだけでしかない、これはあなたの現象ではなく、「生きものならすべて同じ」だ、生きものには死の恐怖があり、己を死から遠ざけること、己を死から遠ざけてくれるものに、キャーと反応してすがりついていく本能がある/自己が死滅する恐怖と不安に駆られた人ほど、このフェロモンと「力学上有利」のキャーにすがりつく本能が爆発的に生じる。
そして、このことを「感受性」というのだ、フェロモン受容体があり、受容体があるから感受性があると説明される/生きものというより「利己的遺伝子」の本質は、自己生存・自己複製のために特定の「匂い」を検知して追跡していくということにある、これはあなた自身にはまったく関係ない、ただの利己的遺伝子の活動だ、利己的遺伝子様という主人があなたを馬車馬のように使役しているだけであって、「あなたが生きている」のではまったくない。

利己的遺伝子によって、あなたが生きているのではない、利己的遺伝子によって、あなたが殺されているのだ。

このことは、わからなければ単純に頭が悪いのでよくない、利己的遺伝子が生存・保存・繁栄させようとしているのは、利己的遺伝子自身であって「あなた」ではない、遺伝子は多数のコピーさえ得られればあなたのことなんかどうでもいいのだ、だから盤石の保全と多数のコピーを生じさせるためにあなたをムチ打って働かせるばかりになる/その「ムチ」が、受容体にホルモンやフェロモンをブッ込むという、えげつない「感受性」の支配という実体で現れてくる。
かといって、今すぐ死ねとか即座に死ねとかいうことではない、同じ死ぬなら百年後に死ねばいいのであって、今すぐあわてて死ぬことには何の意味もない/人は抑えつけられれば暴れるし、カネや力を見るとキャーとなってすがりたくなるのだが、それは遺伝子の性質であって誰でも同じだ、そのためにフェロモンやらアドレナリンやらドーパミン等が使われるのだが、この自己生存本能というのが、実は思ったほど性能がよくないのだ、過去の偉大な武術家などは、生存本能から離脱したほうが相手を制せるということに気づいた、そうして本当の性能のすべてに気づこうとする営為のすべてを過去の人は「道」と呼び、この道がもたらしてくれるよろこびのことを「愛」と呼んだ。

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